読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ダイバーシティは学校から

芸術系大学、音大、芸大は、他の大学とは一線を画しているだろう。だがそれ以外の大学の多くはほぼ、学力の偏差値という一つの評価軸で、たいてい東大を筆頭に、下にずらりと序列化されている。他の方法も試されていないわけでは無いので一昔前ほどではないだろうけれど、それでもやはり、「テストの成績の良い順」というのがこの評価方法であり、評価軸だ。

 

会社では、また昨今の社会では、ダイバーシティという考え方が出てきている。多様性を尊重しましょう。いろいろな考え、価値が存在しますよね、と。これは違う言い方をするならば、一本ではないさまざまな評価軸が存在し、どの評価軸で見るかによって、人はどこかの軸に得意なものを持っているはずではないかという事。

でも、それが「日本の大学」という偏差値、言い換えればテストの点数という学力評価軸でのみ評価されたものでいったんスクリーニングされた後に社会に出る者が多いために、結果的にダイバーシティ化されていない入り口になっていて、会社に入った後から、あらためてダイバーシティを考えるなどという、まぁ無駄なフィルター操作をしていることに。

 

今に始まったことではないんだけれど、そもそも日本の教育制度として、高校受験、大学受験となると、当事者は「で、いいのはどこなの?」とよりよい正しさを探そうとし、結果的にその正しさの評価軸として学力の評価軸「だけ」を選んできたからこそ今が構築されている。

 

とはいえ。すでに徐々にではあるだろうけれど、学校の評価基準もばらけ始めている気がする。これも非常に日本らしいと思うけれど、「日本の中の学校どうし」でそれが起こったというよりも、「日本の大学に行くぐらいなら、最初から海外の大学で」といった進路を取る者が現れだしてきたからこその現実。いわゆる東大に何名も送りだしていたような既存のトップ高校から、東大を止めてハーバードに、などといった進路を取る者が出始めているという事。

 

今日言って明日変わるとは思えないけれど、「学力一辺倒」では、その軸での落ちこぼれを多数作るのがオチではないか。これからは多様性、「それも価値ですね」の時代。だから「解」はいろいろあって、「それも正解です」という時代になるはず。それがダイバーシティでしょ?でも別の価値を「受け入れる」ってのは、思考の柔軟性が必要なんですよね。