選択肢

先日ここに書いた選択肢の多さの話だが。じゃぁ選択肢の数が多ければいいのか?というと、そうでもない。

そもそも数があったとしても、選択されうるにふさわしい選択肢かどうか、品質が吟味されていることが重要事項。選択肢の頭数さえ増えていればいいんですよ、とはわけが違うのは言うまでもない。

 

だが、品質も粒選りで、選び抜かれた選択肢が数多くあったとしたら?まぁまずそんな贅沢な状況を喜ぶべきではないかとも思うけれど、選ぶ方からするとこれはこれで難しい。が、すでにその状況は今皆さんの目の前に起きている。

 

ご近所のスーパーに行ってみるといい。飲料水でも、調味料でも、一つのジャンルに多数の競合会社が似たような商品を、似たような、でもちょっと違うパッケージで出して競い合っている。

これを検証した学者がいる。

「ジャム」の選択肢が何十とある場合と、数種類に絞った場合の、どちらが売り上げが立つのか?結果としては、後者、数種類の方が買いての手が伸びやすいという結果になったという。

 

選択肢は多すぎても困る。そもそも違いが微妙すぎて、選びきることができなくなる。そこまで全ての差異における明確な意識的違いを、多くの人は持ち合わせていない。

だが選択肢が少なすぎるのも困る。それはそれで、究極の選択にならざるを得ない状況になるからだ。適切な違いによる、少なすぎない選択肢。

 

やっぱり世間は右にも、左にも、前にも、後ろにも偏りすぎない、バランスの上に成り立たざるを得ないのですよね。