前提コミュニケーション

すべての事象において、何かしらの前提をはらむのは当然のこと。

言葉は、正しく理解してもらえる前提で話をするし、本も、正しく読んでもらえる前提で言葉を紡ぐ。もちろん、そう意識したところで誤解を生みかねない書き方がなされている場合はあるものの、どう読んでも間違いようがない書き方をしたとしても、そう理解してくれない人…には、中身が読めない、すなわち理解できない、伝わらないことになる。

 

前提をもとにしてコミュニケーションをとることにより、コミュニケーションのスピードが上がり、効率化がなされる。

逆に前提がないうえで話をする場合、相手が正しく理解できる形に情報を加工したり、嚙みくだいたり、付け加えたりしなければならなくなるため、相対的に時間がかかり、コミュニケーションにおける効率は下がる。

 

「正しく読み取れない」「正しく理解できない」というのは、そうした前提となるコミュニケーションができない、効率が下がるということ。であるがゆえに、企業が人員を追加採用する際には「即戦力」といううたい文句がつくことが少なくない。それはもうお分かりの通り、「うちの事業、仕事の進め方において、前提が正しく、素早く、理解でき、効率の高い人であること」という前提に他ならない。

 

昨今の「コミュニケーション力」をうたう頻度の多さは、まさにこの辺りからくるわけで、であるがゆえに、物事を正しく理解する力、素早く理解する力が、あちこちの場面において求められる。

それは、場合によっては業界用語を覚えなければならないだろうし、場合によってはその職場のしきたりも理解する必要があるだろう。専門用語が飛び交うような場所では、その用語の意味が「理解されていること」が前提となるのが普通。さらにその特殊な用語が特殊な行動や動作を表す場合、それらを理解していることこそが、その職場のスピードに直結することであり、仕事ができる/できないに直結する。

 

であれば、そもそも「コミュニケーション」とは、「何に対する」コミュニケーションなのか、「何における」コミュニケーションなのか?といった対象物、対象事象がより正確な前提になっていることこそ重要事項。そうした「〇〇についての」というコミュニケーションの「前提」を意識して話をしないと、「一般的なコミュニケーション力」では、埒があかないか、効果が薄すぎるのが一般的。

 

…で、あなたは日々「何について」コミュニケーションをする必要に迫られていますか?笑