与えられたモノ、取りに行くモノ
あなたのテレビコンテンツの見方はどうだろうか?昨今は録画したモノ中心で見ている人も少なくないので、一時期とは変わりつつあると思うけれど。
昔で言うなら、リモコンを片手に、チャンネルボタンをアップ/ダウン。面白そうなコンテンツを、次から次へとザッピング…という人もいたと思う。そんな中で、「面白い場面」に引っかかったところで、ザッピングを止めて、しばし映像に浸る。
他方、(たぶん昔のやり方だが)ごひいきの番組の中で、様々な案内、報告されることを基本に、じゃぁ来週は時間延長だ、じゃあ今年の夏には映画版だ…と情報を得て、それに沿って視聴していた人。
でも昨今ならたぶん間違いなく、その番組のホームページへ飛び、その番組のハッシュタグを検索し、その番組に関する他からの情報を、必死で集める。これ、たぶんネット以前の時代でもメディアが違っただけで、雑誌で、ラジオ等々で、様々な媒体を通して得られる情報を集めていたはず。
そう、欲しいと思った情報なら、自分から集めに行っている/いたでしょ?これ、仕事も同じはずでね…。
ある仕事のチームリーダー、プロジェクトリーダーになる人で、時々、
「いやぁ、情報がなくて…」「情報をもらえなくて…」
と嘆いている人がいる。これ、本当にその仕事に必死で取り組むつもりなら、その仕事を第一に考えているなら、「自分が欲しいと思った情報で、まだ手に入っていない情報」は、「自分から是が非でも取りに行く」必要があるのでは?それを取りに行っていない、「彼らが出してくれなくて…」などと言い訳しているのはなぜなのかは、今一度考えてみたほうがよくないですか?
多くは語るまい。ある意味、それでも生活できている世界は恵まれている、ともみなせるのだから。
欲しい情報、必要な情報は、向こうから出してこないなら、自分から取りに行く。そここそが、評価されるポイントの一つでは?