正しい姿を凝視する

今の日本は、もちろん素晴らしい部分、クールなところもあるだろうけれど、そうでないところも当然ある。特に、過去に世界を引き離すほどの栄光を得ていた部分では、過去がすごかったことを良いことに、現状を見ない、見たくない人が多すぎませんか?

 

もうGDPは中国の半分以下だ。

首都圏の列車は、ほぼ毎日遅延している。

給与水準は世界基準で見るとさほど高くなく、貧困率は上昇している。

高プロなど非正雇用の社員を増やす方向に社会は動き出しており、これにより「専門性が高い人は、きちんと価値分だけ高く雇用される」という方向へと動けば、それはそれで意味があるのだが、だが多くの人々に見えている/想像されている未来はといえば、「たぶん今以上に給与が引き下げられ、雇用主側のコスト圧縮手法として使い倒される」というのが関の山ではないだろうか。

 

何も、ただ単に落胆せよというつもりもなく、今の自分の姿を正しく認識しようというだけだ。でなければ、改善も、正しい対応も、できるはずがない。働き方改革ももちろんそうで、社会がそちらに変わるのならば、それに対応せざるを得ない状況だという事。

周りの状況を正しくとらえることなく、自分は不幸だ、以前のように何とかしろ…と声を荒げていたところで何の改善策にもならない。周りのすべての変化を止めることができるのなら、あなた自身が変化する必要はないけれど、周りは変わり続けるのだ。だからあなたもそれらに合わせて変化し続けるしかない。もちろん、変化せずに良い状況になるのならそれも一つの選択肢だが、たいていはといえば、自分に悪い状況へと変化しがち。だからこそ「変わらない事」「とどまり続けること」自体が、大きなリスク要因となる。それでもとどまり続けますか?

 

まず今の正しい状況はどうなのか?それに対してどうなっていきたいのか、そう変化できるのか?目指すものがあってそちらの方向へと動きをとらなければ、闇雲に動いたところで、自分の都合のいい未来は開けないだろう。