この先の世界
ここ20年間くらい、日本の企業の多くで、正社員を減らして非正規を増やすことでコストを圧縮したりしてきた。これは日本の採用慣行や雇用慣行の影響を受けているところもあるのだろうけれど、一度正社員として受け入れてしまえばなかなか解雇できないというところから、ジワジワと進んできた印象を持っている。
結果どうなったかは皆さんご存知の通り。すでに多くの人々「終身雇用」などということは全く信じておらず、にもかかわらず「正社員になりたい」もっとわかりやすく言えば「同じ仕事をしてもいい給与をもらえる身分になりたい」ということにあこがれが残る時代。
だが、ここまで状況が進むと、昨今の日本の状況もあいまって、別の環境へと移行する可能性がある。
すでに日本の労働者人口は減り始めている。関東地方においては、すでにちょっとしたバイトは、時給1000円は当たり前になりつつある。そう、時間単価が上がり始めている。当然だろう。明らかに非正規雇用者の奪い合いになっているのだ。他方、正規雇用者への賃金の支払いが年功序列を徐々に解体し始め、功績をできるだけ反映した評価体系に変えつつある。そう、正規社員の給与が下がり始めている。景気に左右されるのだろうけれど、たぶん大きな流れは止まらないと考える。政府も動いているようだが、同一労働同一賃金への大きな流れに。
それと並行して起きるかもしれない予想ができるのは、本当に技術がある者が、いままでは「非正規」というだけで「安く」使われていたところが、これからは「そんなに安いんなら他へ行く」と、働く側から嫌われる可能性があるということ。需給の関係性から考えれば当たり前だが、力や技術やスキルのある労働者へ、正しい評価額の賃金を払わなければならない力が徐々に働き出しているという状況。たんなる「卒業と同時にどこの会社に入れたのか?」といったことに左右されない社会が近づきつつあるということ。それは、ある意味プロフェッショナルが跋扈するせかいであり、結果として高い技術を欲しいなら、プロ評価の賃金を支払える会社のみがそれを得られる世界に向かい始めているのではないだろうか。
こういう変化に、企業側は目ざとい。個人はというと、なかなかマインドが変わらない。これにより求められる求められるのは、個人の力、個人の得意技だ。だが全員が全員トップの実力が持てるわけではないのが現実。そう、なにも「その世界のトップ」以外は生きていけないわけではないことは確認しておきたい。そこをいかにきちんと理解するか、自分の戦略を立てるか。たぶん、企業と同じ、もしくは企業に一歩先んじて自分が変わることができれば、人生は少しは楽になるんじゃないかな。
とちょっと想像してみても、考えないものは翻弄されそうな社会がみえてきている。
もちろん時代という波乗りを、どう楽しみたいかによるのだけれど。