断捨離を支えているのは

一時期、日本において、断捨離だとか、モノを最小限にまで持たなくするといった形で、整理術がブームになった時期があった。一回どころではなく、こうしたムーブメントはたぶん、過去に何度も繰り返し繰り返しやってきていたと思う。

 

だがそもそも「断捨離」というのはどういう状況か?どうして「断捨離」や、整理をうまく進めなくてはならなくなったのか?と考えてみる。その理由は?モノが増えすぎたから、それも「必ず必要なモノ」ではなく「あったら便利(だけどなくても何とかなる)モノ」が増えすぎたからではないだろうか?

さらに言えば、そうしたものが、100円ショップなどから、品質の悪くないモノとして大量に供給されている日常があるからこそ、皆、ちょっと小銭をはたいて購入している現実がある。そのくらい様々なモノが潤沢に供給され続けているからこそ、生じている状況でもあるのではないだろうか?

 

と考えれば、人口が減少し始め、経済大国の順位を落とし徐々に貧乏になっていく状況の中においては、もしかすると、モノが潤沢には供給されづらい世界がやってくるのかもしれない。モノが増えない世界がやってくるかもしれない。欲しくとも、必要だったとしても、すぐには手に入らない、そんな世界が来てもおかしくない。それに対してモノ溢れの状況が今あるのは、たまたま経済的に、物質的に、恵まれた環境下にいるからだけであって、ちょっとした状況の変化によって、それらはすぐに反転するのではないか?

 

モノが足りない世界において、断捨離はあり得ないのではないだろうか?
日本では、いつまでモノが潤沢に供給され続けるだけの力を誇れるのだろうか?

すでに空き家は増え始めている。増える、単純に成長する…以外の伸ばし方伸び方が意識できているのだろうか?