機敏
NHK今日の料理や、三分クッキングでのアシスタントにはじまり、民放の料理バラエティーと呼ばれる系統の番組においても、その現場で作られた料理を食して、コメントを述べるという役割のタレントやアナウンサーがいる。
「いやぁ、これはおいしい」
といったありきたりの言葉を放つことは暗黙に期待されておらず、
「このプリップリの噛みごたえが…」
「サクサクとしたこの感触…」
「はじめは○○の香りが広がるのに、噛み続けると△△の存在感が確かに残って…」
といった、的確?に、その料理の魅力を伝えているであろうコメントを期待される。
そしてまた、数多くのタレントが、あのコメントのむつかしさを吐露している。
「おれには料理コメント無理だわ」
「いや、“おいしい”としか出てこないだろ」
「本当においしいものを口にすると、言葉がなくなる」
とかとか、もっともだと思えるもの/思えないもの、いろいろ。
これ、ちょっと俯瞰して考えてみると、その一瞬で、その料理/食材の“良いと思われる点”を瞬時に見つけ、言語化し、口にするということを求められていることになる。そこに、ありきたりな言葉だけではなく、さまざまなバリエーションを駆使して言語化し、それが手元にない者にたいして、その素晴らしさを伝えること。そしてこの困難さが語られている。
だがこの能力、別にタレントだけに求められている能力ではないんじゃないだろうか?
マネジメントを経験したことがある人ならわかると思うが“ほめよ”と言われることがある。部下や同僚をほめることで士気をあげ、チームを鼓舞し、良い成果を目指す。だが今更いうまでもなく、ほめることはことのほか難しい。その人を、その行いをよくよく観察しておかなければ、適切なほめるポイントなど見えてこない。
ありきたりな“ほめ”は、場合によっては嫌味ともとられかねないこともあり、逆効果を生むこともある。内容は慎重に吟味しなければならない。
さらにそれは、非常にタイミングが重視されるものでもある。いつでもよいのではなく、適切なタイミングで発される“ほめ”は、想像以上の効果をもたらすことがある。が、タイミングがずれたものは、わざとらしさが醸し出されたりと、これも運用の難しい内容。
対象をよく観察し、良い点を見極め、それを言語化し、適切なタイミングで口にする。
そしてそれが、相手に伝わってこその「言葉」。一つは視聴率やタレント人気度へとつながり、もうひとつは組織の雰囲気や士気、上司の人気度へとつながる。
タレントさんとは別世界、と思っていたところで、結局その根っこに流れているものは似通っているもので。そしてもしもこの能力がより多くの人に具備されていれば、ぼくらはもっともっと気持ちの良い社会を構築できるんじゃないかな。