世界は数字でできている

電話というものがこれほど世の中に広がる前には、ある番号をだれかと取り合うということはなかっただろう。電話というツールが一般に使われるということになったからこそ、電話番号という、本来意味のなかった一塊の数字列が価値を持ち始める。
それも、当初は固定電話のみの番号だったものが、携帯電話となり、個人に一つ(最近では二つ?)の番号を持つことに。

最近ではドメイン名がそうだろう。
有名企業、それも英文字での略称ドメイン名などは、あっという間に抑えられ、高い金額で売買されたりもする。それまではそんな文字列を使うことがなかったのが、Webという仕組みが広がるとなった瞬間に、ドメイン名という価値が生まれる。

メールアドレスも同じようなものか。独自ドメインで抑えてしまえるような場合は良いけれど、たとえば、ケータイメールの場合は、名前部分しかコントロールできないことがほとんど。となると、使いやすい、覚えやすい、長くないメールアドレスが一気に埋まる。
ただ、迷惑メールが多発したこと、メールアドレスを住所録から選択することで直接打ちこむことが減ったことで、短いからよい、覚えやすいからよいといった価値観は、若干変わったかもしれない。

昨今のツールではTwitterだろうか。自分のつけたいユニークな名前はたいてい抑えられており、アンダーバーや数字を付けて回避したりする。

メディアが増えるごとに、その上に情報タグが生まれ、その情報タグ自身が何らかの価値を持ち始める。

 

けれど、それすらも溶けて消え始める。

すでに、知り合いやなじみの相手の電話番号を覚えている人、番号で電話を掛ける人は激減し、それはデジタル化された電話帳の中から名前を選んで「通話」するのみ。番号は、機械が勝手に判別してつないでくれる手段でしかない。
ケータイでできるメールアドレスも同じだ。直接メールアドレスを一文字ずつ打つよりも、アドレス帳から探して「メールを打つ」と支持するのみ。細かい名前やドメイン名を覚える必要などない。

Webにおけるドメイン名も、有名であればあるほど全部正しく打つ必要はなく、検索窓に会社の名前を入れれば、正しい会社をトップに表示してくれる。

Twitterも、IDとは別に名前を設定できたり、アイコンで独自色を醸し出すことができる。IDがそのまま既得権になるのではなく、それはシステム上の認識タグとして溶けていく。

 

既得権が生まれ、それが機械によって消化され社会に溶け込む。
まだ不十分な「消化能力」だからこそ、偽サイトなどにごまかされることはあるのだけれど、やがてはそんな心配も消える日が来るのかもしれない。
人が人を認識するのに必要なタグと、機械が人を認識するのに必要なタグと。
そしてまだまだ不完全な社会であるために、機械に人を認識してもらわなければならないために、割り当てられた数字列を打ち込まなければならない不条理さと。

たぶん、まだわけのわからない文字列を、人が機械に教えてやらなければならない時代は、まだ何年も続くんだろう。

私の存在は、各種の番号でなりたっている。