たかが道具

ご自宅にハサミは何本持っていらっしゃるだろう?
すぐ手に取れるリビング近くの引き出しにある大きなものもあれば、裁縫道具箱に入っている握りばさみ、子供部屋にある子供用のハサミ、キッチンに用意しているキッチンばさみもあったりしないだろうか。

衛生上、キッチンばさみは別物として用意するのは分からなくもないけれど、他のハサミの用途はたいてい、紙や糸/布を切る程度で、さほど変わらないはず。ならば一本でいい…という考え方もあるけれど、複数あれば便利だしと、一つの家にたいていは複数本のハサミがあるんだろう。

ま、安いものだし。

 

子供用は、子供が必要な時に工作するためにつかったり、お菓子の封を切ったりする。親は親で、封筒を開けたり、荷造りの紐を切ったりする。究極はどちらか一本でいいのに、複数本ある。もちろん、子供用は子供が握りやすいような大きさで、大人用は大人が握りやすい大きさであったりする。利用する人に応じて、使い道に応じて。

 

そのうち、「“この用途”で使うには、こっちのハサミも使えるが、あっちのハサミの方が大きくて使いやすい」、なんて使い分けも出てきたりする。大人用のハサミ一本で済むはずが、大人用の“荷造り”に使うハサミと、“裁縫”に使うハサミ。おいてある場所も限定されてきたりする。別の用途にも使えることは分かっているのだけれど、用途別に、ちょとだけ違う同じ種類の道具が用意されていく。

ま、安いものだし。

 

もしもハサミという道具が、一本何万円もするようなものであれば、多分今でも家に一本しかないはずだ。価格が安くなったからユーザー別に、価格が安くなったから用途別に用意することができる。

 

 

 

家電業界はじり貧状態。どんどん価格は安くなっていく。開発競争のスピードは増し、毎回の機能アップに迫られ、それに応じられなければ単価は急激に下がっていく。
すでに早々新しい機能をポコポコと入れていくことも難しいし、さらに新機能を入れたところで、ユーザーの理解が追い付かなくなっている。理解の難しい新しい機能は受け入れられない。

そこで考え始めるのは、複数の機能を一緒にすること。確かに一緒になった方が便利だったり、使い勝手がよくなったりする機能もある。

 

だけれど、家の中で五徳ナイフ、十徳ナイフが重宝されないのと同じように、複数機能が付いた道具は、その一部だけが使われるだけで終わるか、またはそのすべての機能が使われないかという運命をたどる。五徳ナイフは五徳ナイフが“必要なシチュエーション(たとえばキャンプ)”でのみ、重宝されたりすることと似ていないだろうか。
それはたぶん、機能を積み増したことで、他の何か、たとえば使い勝手や各々の単機能の能力を犠牲にしていることを、明確ではないにせよ感じているからではないだろうか?
普通のハサミと、五徳ナイフについているハサミ、目の前の紙を切れと言われたら、どちらを手に取りますか?

そうした専用道具であったとしても、まだその専用性に対して進化の余地があったりする。こんな基礎的な道具でさえ。

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価値を上げようとあがいた揚句、複数機能を付け足すのは、シチュエーションが正しく選択されなければ、“使われない道具”を生み出すことになる。それ専用の道具の使い勝手のなんと良いことかは、今更いうには及ばないだろう。複数機能がついて価値が上がったように見えて、毎回機能を選択する手間、今どの機能を使っているかを理解しなければ使えない複雑さが、実は価値を落としていたりする。

付加価値付加価値と呪文のように唱え、必死で「価値を積み増しているつもり」だけれど、「本当に価値が積み増されているか」は、だれが検証しているんだろう。

 

ま、安いものだし