仕事と私事

バブル崩壊後の失われたうん十年、今でこそアベノミクスと言われているけれど、すでに右肩上がりではない社会。であるなかで、商品を出していくためにコストダウンし、新機能を追加し、期間を短くし…。そうした開発を進めるために、現場ではさまざまなリスクをはらみつつ、素早い決断/判断が求められる。

本当なら、確実な情報を取り揃え、リスクを十分勘案した結果として決断をする…はずが、そんな情報を十分に取りそろえる時間も与えられずに、決断を迫られる。判断が合っていればよし、のちに間違っていることが分かれば、それが発覚した時点で再度判断を切り替える。ずっとリスクとお友達。早く早く。

 

一方、いったんプライベートに戻れば、判断はできるだけ後回し。何か食事に行こうかと思えば、何を食べるか決まっていなくても、とりあえずフードコートへ。中華フレンチイタリアン、カレーに和食にそばうどん、食べたいなと思ったぎりぎりの瞬間に、その店に決めればいい。選択肢が準備されている場所へ。

テレビ番組においても、ずっと以前なら、見たい番組に間に合うように自宅へ帰宅。ビデオが普及してからは、見たい番組を事前に予約録画設定をしていた。要するに、番組開始のずっと前から、その番組のために、見る準備/見るつもりをしていなければならなかったわけだ。

けれど今では多くの録画機が複数チャンネル、もしくは全チャンネルを録画していたりする。録画機すら別に必要でなく、テレビにおまけでついている時代。もう見たい番組を事前に決める必要はない。あとになって話題になった時に初めて、「…なら昨日のあのドラマでも見てみようか…」という選択が可能になった。決断は後でいい。結果、よほど娯楽性の高いもの、もしくは意味のあるものしか選択されなくなり始める。単なる時間つぶしはスマホでいいや。

 

 

すぐに決めなければならない仕事、ぎりぎりまで決めなくていい私事。でもどちらも同じ社会において、同じ人において起きていること。立場が違うだけで、その選択できる手法に大きな違いが生まれている。

そしてきっと、私事においてさえ、早々に決断を迫られることが増えていくのだろう。面白い事、面白い情報がより凝縮して得られる場面は、そこかしこに増えている。大物の“時間泥棒”が世界を暗躍しているのだから。