感性の完成

家電製品などで商品が成熟してくると、下落しがちな付加価値を抑えるために、次々と機能を追加して、何とか価格下落を抑えようという意思が働く。他方、同一機能をより安く実現するためのチューンアップや部品削減なども余念がない。

 

初期モデル、第二、第三モデルぐらいまではそれでもよいかもしれないが、それ以後になると、そもそもアイデアも煮詰まってきたり、あれば便利かもしれないが、そもそもなくても困らない、といった機能が増え始める。

 

が、開発現場も必死だ。付加価値をつけろとハッパをかけられ、無い知恵を絞る。機能をさらに付加することと、価値を上げることとがつながりにくくなる。

 

 

増えすぎた機能を削減するのは難しい。なぜならば、あらゆる方向への付加価値のとっかかりがくっつき始めているため、商品としてはさらなる価値を生み出す“かもしれない”あらゆる方向へと広がり始めているからだ。きちんと方向性を持った削減をしなければ、単に使いにくい装置に成り下がりかねない。

そう、割り切りには“方向性”が必要になる。

 

たとえば、小型で携帯性がいいということに気を配りながら、なおかつバッテリーの持ち時間は持たせたい場合にはどうすべきなのか?スタイリッシュなデザインと形を打ち出しながら、高度な編集機能を入れるべきなのか?

 

そうした割り切りの方向性/見極めは、まさにディレクションを決めるためのリーダー/ディレクターの仕事であり、彼らが多数の意見を仲間内から吸い上げてもよいけれど、判断/バランスは、ディレクターとして決めなければ、最悪、バランスの悪いものが出来上がることにもなる。

と考えれば、ディレクターは“そのもの”の対外的バランスを考え、そしてそうした物をチームや仲間で寄り集まって作るために、仲間に対して説明し、説得し、賛同してもらうための努力をし続けなければならない。意見が異なるメンバーで作ることになれば、結局合議制と同じで、バランスを欠くことになりはじめる。こいつを維持するのは大変なパワーが必要となる。

 

“完成”が一意に定義できないようなもの、性能に関してなどは、やり方によってはいつまででも作り続けていられる、磨き続けていられる。それをどの段階でレベルクリアーとするか、組織としてOKとするかも似ているだろう。

 

絵画の合作というもので、対した作品を見かけないのと同じように、感性に頼るところ、方向性が必要なところに関しては、センスやバランスと強いディレクションが求められる。だからこそ好き嫌いも生まれ、強烈なファンも生まれれば、アンチも生まれる。

これがまた、製品としてのセンス/バランスと、ビジネスとしてのそれらとが、微妙に交錯しているところが悩ましいところであったりもするのだが。