リアルがあるから、バーチャルが生きる

すでに日本においても、facebookを使ったり、Twitterを使ったり、LINEを使ったコミュニケーションで、それまでにはないリッチなコミュニケーションを繰り広げている人は多いだろう。

 

それ以前の時代になると、あったところでメール。一つ遡ってケータイ通話、さらにはポケベルと、ここ10数年ほどで、パーソナルなコミュニケーションの手法は、飛躍的に進歩した。飛躍的に安価にもなった。

それらを使いこなしている人にとっては、それ以前とは格段に違うレベルで取ることができるコミュニケーションは密となり、くだらないことを含めて、いつでもどこでも連絡が取れるようになった。取れてしまうようになった。

 

友達の友達へのつながりやすさだとか、同じ趣味趣向の方とつながりやすい環境というのは、こうしたツールがなかった時でもあったとはいえ、ツールの充実、安価な機器の普及によって、「つながりの広がり」が拡張しやすくなったというのは事実の一端だろう。

 

しかし、そうしたネットのつながり、バーチャルなつながりは、基本は実際に会った人がいてこそ広がるものではないだろうか?

たとえば学校で、サークルで、そこでその人の容姿を知っている、その人となりを知っている、その人の言動を知っているからこそ、だったらバーチャルにでもつながろうと思う。そこからさらに広がる友達も、リアルに知っている人が間に入っているからこそつながろうと思うわけで、いわばリアルが担保しているバーチャルだ。

 

この感覚はもしかすると、こうしたツールの成り立ちと共に育ってきた世代の人には普通なのかもしれないが、いきなりこうしたツールと出会う世代/いわゆる若い世代にとっては、こうした感覚などないのかもしれない。

それは(そうした自然に受け入れる感覚を持ち得ない人から見ると)非常に危険なことにも見え、そしてまた、それまでには生まれそうになかった新たな関係性を生む刺激的な可能性も秘めているであろう存在。

 

 

それでもやっぱり、一度はリアルに出会った方がいいんじゃないかなと思うんですけどね。

 

ネットを介して、コンソールを介して出会うその人は、実際目の前にすると印象が変わったり、声を聴くことで雰囲気がつかめたりする。

ぬくもりが伝わる距離でのコミュニケーションがあってこそ、その後のバーチャルにおいても、その温かみが思い出され、継続する。

 

確かに、地球の裏側にいる人とだって、文字だけに限らず、音で、映像でコミュニケーションできることは、とてもすごい事だし、そんな時代にいられることはとても恵まれている。

なら、もう一つ感動を味わうために、会ったことのないネットの友人に、一度会いに行ってはどうだろうか?

これからは出会うにしてもちょうどいい季節。

 

晴天に月の映える季節。

十五夜っていつでしたっけ?