ないものを見つける
小学校あたりの点呼の状況で、「じゃぁいない人手を上げてくださーい。いませんねー(笑)」という笑いを取るのは、一度くらいは聞いたことがあるかもしれない。
いない人は手を上げない。当たり前だが普通の事だ。
ないものを見つけるのは難しい。それは、「あるはずのものがすべて記憶されている、もしくはリストがある」という前提において、それとの差分を理解することによってはじめて、何がないのかが認識される。であるがゆえに、「あるはずのもの」が、ぼんやりとしか理解されていない場合には、ないものを見つけることが難しい。よほどの大物が存在していないなら、その違いは認識できたとしても、ちょっとしたコト、小さなものであればあるほど、ないものは見つけられない。そしてぼんやりと覚えている、ということは、そういう小さなものがあいまいになっているということ。
言葉の言質を取るのは今に始まった話ではない。特に昨今、あらゆる局面において、厳しい状況を潜り抜けなければならないということに直面するのは、偉い人に限らない。
昔?なら、ジャーナリストはこういったところを追求していたはず。だけれど、最近は、マスメディアも人でできていることが如実に表れていて、強いものには弱く、弱いものには強い。
ないものを見つけるのは、至難の業。
ましてや、あえてあいまいに、小さい事象としていることは、あるのかないのかさえ認識されにくい。
でも、それは実は「今」小さいだけであって、将来、大きく育つかもしれないこと。