知る方法

AV機器業界がデジタル化の波に飲み込まれて久しい。

ステレオセットは、ミニコンポ化し、すでに一部のマニア層を除いてはケータイで音楽を聞くので十分だと思っている人たちもいるだろう。

テレビはそもそも規格がデジタル化したことで、一時のバブリーな売り上げを謳歌したわけだけれど、あっという間に安売りの波に飲み込まれて、高画質化方向にしか逃げられなくなって苦しむ。すでにテレビ事業をあきらめた会社もある。

 

そうこうしているうちに、なんとか命をつないでいるのがケータイ。1990年代に商品カテゴリーが生まれ、2000年代になってスマートホンとしてブレーク。デジタル家電機能の多数をその小さな身にまとい、多くの人の生活に忍び込む。

 

そうして次の世界がウェアラブルだ…なんて言っている人もいる。

メガネ、時計、指輪、かつら?などなど、生き残る方向性をめざして、必死に仮足を伸ばして生き残る道を探る。

 

 

私が思う所は、「知る方法」だ。これまでは音と映像、それも特に昨今、映像/視覚に頼る情報が圧倒的に増えている。それはもちろん、小さくて優秀な表示デバイスが安く出回ることで成し遂げられたわけだけれど、それゆえにみんなそれに頼りすぎで、その高精細さ大きさに縛られた商品ばかり。テレビは高画質化、もしくは大型化することでしか価値を生み出せなくなってきているし、携帯は小型化、高精細化する方向に走りがちになる。バッテリーが長持ちする、視認性がいいなんてのは、そこから派生している事象に過ぎない。

 

音は、耳で聞くことにかんしてもっと追求できるところがありそうだけれど、たとえばひとつはノイズキャンセリングといった方向性以外、あまり大きなブレークスルーを聞かない。

 

最終的に、目で、耳で情報を確認するというところは仕方がないだろう。人間が持つ知覚の優位性において、新しいものが生まれてこない限りは、なかなか厳しい。

だけれど、それに準じた形で、たとえば、匂い、温度、振動、刺激(痛み)のような、そうした情報を得る方法、知る方法で、突き抜けようとしている商品はあまり見かけない。携帯が、バイブレーションで着信を知らせる、腕時計が振動で時間を知らせるというのは見るけれど、他はあまりすぐに思いつかない。忘れているだけかなぁ。

 

五感「見る聞く嗅ぐ味わう触れる」といったことで、見る聞くにばかり情報提供、情報収集が頼りすぎている昨今。だから携帯しながらのながら運転をしたくなり、歩きスマホをしたくなる。

今の技術的には、最終的に“見る聞く”に落ち着かざるを得ないのは仕方がない。“嗅ぐ味わう”の分野がまだまだ未開拓なのも仕方がない。でももっと“触れる”とくに振動するということを使えないだろうか、知る方法として発展する余地はないのだろうかと思う。

振動パターンと、振動の強弱程度しかすぐにはないかもしれないけれど。