仮想からの現実
日本人は、(楽器ではなく、アルファベットの)キーボードアレルギーがあるから、パソコンとか慣れないだろ、なんて言われていた時代は今や昔。
普通にパソコンキーボードをたたいているし、パソコンのキーボードくらい叩けなければ事務職すらままならない世の中になっている。
昔なら、キーボードが叩けない世代は、パソコンはもちろん、インターネットへのアクセスなんてとんでもないという状況だったんだろう。けれどいまや、電車に乗っているほとんどの人が、LINEやTwitter、facebook、もしくはネットでニュースを見たり…なんて状況で、ネット空間、仮想空間でのつながり自体が、かなりの割合で日常に融合しつつある現在。
大人と学生のひとつの違いは、その人間関係の範囲にあるのではないだろうか?
学生の場合、たいていの場合は、学校やサークル、クラブ。多くは毎日、少なくとも週に何度かは顔を合わす存在が、その人間関係のほとんど。
それに対して大人はというと、もちろん、仕事で毎日顔を合わす面々はいるものの、じゃあTwitterやfacebookでそういうひとたちと“だけ”つながっている人というのはあまり見ない。それよりもむしろ、学生時代からの友人、主もサークルの友人など、月に何度か、もしくは年に何度かしか出会わない友人と、ネットを通じたつながりで保っていることが多い。であるがゆえに、学生はあまりそうしたSNSツールの必要性を、自分の仲間内で使うことに利便性を感じず、大人はそうしたところで細々とでもつながり続ける、情報を交換し続けることに意味を見出す。
だからこそ、大人は、現実にそういう人たちと出会う、顔を合わせることに大きな意味がある。ネットでのみつながっているのではなく、年に何度か、もしくは数年に一度でも、顔を合わせることに意味がある。
仮想きっかけのみでつながっている人もそうだろう。仮想だけでは意味がない。実際に仕事という成果を介したり、物理的に顔を合わせることで大きな意味が出る。
大人も子供も冬休み、年末の休暇に入るシーズン。
日頃は会えないあの人と。いつもは違う場所にいるあの人と、出会ういいチャンス。