定番の答え、定番のコンテンツ

オリンピック花盛り。努力の末にメダルをつかんだ人のニュースを手に、街へ繰り出し、一般人からインタビューを取るなどと言うのはよく見る光景。

 

「○○さんが、○メダルを獲得したそうです!」

「ほんとうにすごいですね。我々もあの努力をぜひ見習わないと…」

「(スタジオに切り替えして)では次のニュースです。」

 

別にこれに限らない。ニュースなどを見ていても、いわゆる回答、定番の反応、定番の答えを引き出したい、画がほしい、と思ってVTRを回している撮影隊がいるだろう。テレビ会社で待っているデスクがいるだろう。そしてそういう映像を期待しているお茶の間がいるだろう。

 

で、どうなのだろう?何が変わるのだろう?何が変わらないのだろう?

そんな当たり前の反応ばかりを見て、何がしたい?

「見習わないと…」

と言ったその人は、さて、次の日から何か行動が変わるんだろうか?別に何も変わらない、そんな人がほとんど。別にオリンピックであろうが、何かの世界記録であろうが、ワールドカップであろうが、その一瞬白熱するけれど、それ以後ずっと燃え続ける人が何人いるのか?

 

もちろんそうした人が、1万人中1人でも、100万人中1人でも出れば、それで世界が変わるのかもしれない。で、そういう映像コンテンツを作っている人はそういうマインドを持って作っているんだろうか?いつもの定番、いつもの時間を埋めるいつもの映像、期待を外さない映像を作ろうとしていないだろうか?本来は、期待を外さないのではなく、期待を上回るものを作ることを望まれているんじゃないだろうか?それがそう簡単ではないことはよく知っているのだけれど。

 

定番を定番で埋めていくことであったとしても、そこには技術が要るしテクニックを求められる。けれど、そのテクニックを少し上回る何か、期待を少しでも上回る何かがないと、縮小していく。そして、そうした上回る努力をしていてなお、縮小していくのだけれど、その力が時に大きな力となって、何かを上回るときにいたる。その時を目指して。