友達、数

今もそうなんだろうか、ケータイのアドレス帳に載っている友人の数こそがステータス、という時期があった。今の若者だとLINEでつながっている数なのかもしれないなぁ。

 

Twitterのフォロワー数も、少ないより多くなるのを期待したり。10人のフォロワーよりも1万人のフォロワーを持っている方が「すごい」とかね。

 

友達の数は多いほどいいとか、いやいや、本質的な大切な数人がいれば十分だとか。

別に誰かに定義される必要はない。自分が大切な友人だと思う人がいることが大切で。

 

他の人から見たら、その私が思っている「友人」というのは、意味が薄いのかもしれない。いや逆にとても濃い「友人」なのかもしれない。けれどそれを受け入れる自分、受け止めることができる自分がいてこその「友人」。それは単体で存在するのではなく、受けとめられる自分がいてこその「友人」。

 

数が多いほどいいとか、少なくても濃い友人がいればいいとか、そのこと自体が、誰かほかの人の定義で認められていることを求めていることに。