すじ

テレビ開発に携わっていたり、カメラ開発に携わった経験があったりしたことで、「画作り」という言葉は親しみ深い。家電量販店のテレビ売り場へ行って、よーく見比べてみれば、各メーカーの画質の「作り方」に特徴があるのが見て取れたりする。

デジタルカメラの色の乗りかたなんていうのも、それに当たるだろう。

たぶん、メーカーがそれぞれの製品の特徴としての色づくりをはじめとして、メニューの配置の仕方、ボリュームの反応の仕方など、それぞれにつくりこんでくるのと同じく、作り手の個性に大変左右されるものの一つが映画じゃないだろうか。

ここ最近、DVDがその多くではあるけれど、かなりたくさんの作品を見る時間が得られた。確実に週に1本以上の映画を見続けている。時によっては一連のシリーズものをずっと見てみたり、時には同じ監督の作品を見続けてみたり。
映画は昔から結構好きではあったけれど、これほどの数をこれほどの期間で片っ端から見たのは初めてだ。とてもいい機会だった。

そうして気づいたことは、やはり監督によって、その画面の構成をはじめとして、画質、カット割りなどが、非常に特徴的だと言う事。さらに、銀残しなどという形での画面のきらびやかさや埃っぽさなんていうのも、監督によってそれなりに特徴がでている。
有名なところでは、キューブリックの作品が有名だろう。あちこちのサイトで彼の特徴を捉えた構図をはじめとして、さまざまな分析がなされている。

絵画や写真も多分同じだろう。アニメーションですらそうだ。ジブリ作品は、ジブリ作品の「匂い」がある。また監督によってその監督の「特徴」が、どことなく感じ取れることがある。
こうした事が感じ取れたり、あぁあの監督の作品に似てるななどというイメージができ始めると、映画も、絵画も、写真も、それらに限らない作品においても、そうした“匂い”、思想が伝わってくる。一本筋の通ったモノづくり。いつも変わらない画面作り。それは癖でもあり、特徴でもあり、そして深い場合には哲学にさえ通じる。

そうした「一本通った何か」を持っている事、それこそが「その人」であり、「その人」を代表するに足る意義を持つものになる。
別にそれは作品という形をとっている必要すらないのだけれど。