コンテンツを通してみているモノ

先日から続く。

そうしたテレビ映像よりも、より刺激が高い可能性があるモノ。テレビの映像は、「本当にテレビ局が見せたいと思っている」なら、再放送もするだろう。話題にもなるだろう。だとすると、それこそネットにも載ってくる可能性さえある。

テレビの番組は、特に最近当たり外れが大きかったりする。せっかくの時間を使ってテレビを見ても、面白くない番組もあるだろう。それよりもネット…
いや、でも、ネットならテレビ以上に当たり外れは少なくない。ではなぜネットなのか?

 

それは希少価値ではないだろうか?違う視点からすると、コミュニケーションの質が変わってきていることに起因していはいないだろうか?

昔のように娯楽が少なければ、
「昨日の○○番組、見た?」
というのが話のきっかけであり、ネタ元だ。これを核として話が始まり、広がる。共通の話題、共通性を元にするところが話のスタートだ。

しかし今や、SNSは流行り、LINEが流行る時代。共通の話題に関しては、そんなところで十分に確認が取れている。それよりも独自性、ユニークさ、他にはない希少価値、ニュース、面白さ。私だけが知っている事が話題を盛り上げる。そんな価値はないだろうか?


そう考えると、今や「コンテンツの共通性」ということが話の中心ではなく、「誰も知らないニュース性」を拾ってくる先が、テレビでは役不足になり始めているのではないだろうか?

(続く)