ウェアラブルのベクトル
Apple Watchが発表され、いよいよ腕時計型が花開くか?とも言われている。事実、大手ファッションブランドの重鎮をたくさん囲いいれているとも聞く。
ところで、Appleに限らないけれど、デジタルガジェットを作っているメーカーは、二つの追求をしているのではないだろうか?
一つは当然機能/性能。
今までできなかったこんなことが!あんなことが、この新しいガジェットでできるようになる!
そしてもう一つは、ファッション性。
携帯電話にしろ、パソコンにしろ、自分で購入するならかっこいい方がいい、というのは誰しもが思う事。単なる四角い形より、ちょっとおしゃれに、ちょっと見た目のかっこよさがあるほうが目を引く。
この二つの価値ベクトル。これは大きく分けて、全く反対方向に向いていないだろうか?
機能/性能は、自分への利便性。自分が使うところにおいて大きな価値を生み出す。もちろん、そうして生み出された価値を身にまとうことによって、かっこいい自分を外側にアピールできるという、二次的要素は含まれているだろう。
もう一つのファッション性。それを身にまとうことで、かっこいい!似合ってる!と“周りに思われたい”と思っていないだろうか?そう周りに思われることで、自分の価値が上がるという二次的要素は、これまたあるのだけれど。
ひるがえって、たとえば、某ファッションブランドの腕時計はどうかと言うと、機能面は普通の腕時計とさほど変わらず、その外側に向けての、ファッション性のかっこよさだけがもてはやされることが多くないだろうか?
ファッション性が高いものは、時に実用性すら犠牲にする場合がある。ちょっと寒いかもしれないけれど薄手の生地で、丈を短くして…なんてのは、見栄え重視なら当然あり得る。しかし、ガジェットのガジェットたる価値は、多くの場合、機能の多様性、利便性によって判断されることがほとんど。
いまですら、単なるガジェットメーカーが、必死で機能を搭載しようとし、機能を削るのは至難の業なのに、その二つのベクトルをどこまでまとめられるのか?それは、単にベクトル同士で打ち消してしまうようでは意味がなく、互いのベクトルをずっと大きくすることで、見かけ上、一つにまとまっているという形を創り出す事。それはものすごいパワーを持ったファシリテーション、リーダーシップ、そして大きな夢、目的がなければ成し遂げられないこと。
ファッション性に寄った形では、ガジェット側面から批判され、
機能側面に寄りすぎた形では、ファッション性から見放される。
今、世界で、こんな難しい課題を導けるリーダーって、誰なんだろう。