制約の中に

「何をしてもいい、制約はない」と言われると、さて、何をしていいのかわからなくなることがある。

実際には時間やコストの制約があるにもかかわらず、さて、何をしようかと迷ってしまう。

これもしたい、あれもしたい、さて何をしようと迷う人と、あれっ?そもそも何がしたかったんだっけ?という人もいる。これも、それ以前からずっとその事を考え続けていたのか、そうでないかの違いとして出るのかもしれない。

 

自分で決められない人、そもそも選択肢がない人が、それらを人にゆだねる。

「何したい?」

「どこ行く?」

「ランチどうしよっか?」

その事を考え続けていなくとも、そのきっかけの一言で、何らかの判断を下せる人もいる。

「じゃあ、今日は映画を見に行こう」

「こっちの方が空いてるね。とりあえずこっち」

「お昼なら、今日は寒いからラーメンだ!」

 

これに対して

「うーん、何でもいい」

なんて答えもある。が、たいてい、「何でもいい」は「どうでもいいや」ととらえられることもある。

 

現実に、「制約を受けないこと」はない。時間も、コストも、かならずなんらかの制約がある。が、普段はそれを意識していない。ぼんやりと過ごしていると意識する必要すらない。

けれど、さて物事を「しよう」とすると、時間に制約され、コストに制約される。それらを意識し、その範囲をいち早く意識し、自分の価値観に照らし合わせ、そして自分としてより良い方向へと判断できる人。瞬発力というか、判断力と言うか、そういうものを持つ人がいる。

当然、結果として、必ず最適のものが選ばれない/間違うこともある。が、それでもリスクを取ってそちらに進む。

 

自由なんて、見えない/意識できていない制約の中での活動であることがほとんど。それを素早く意識したり、すばやく決断したり、行動して前に進めること。躊躇しているのはもったいない。

制約を意識しよう。

そして前へ。