裏を確かめる(そちらは裏なのですか?)

TOEICのような、定型化されたもの、何度も受けるものなら慣れることもあるのだが、人生の中では、様々な試験を受けることがある。

 
あぁ時間に余裕を持ってできた、と思ったら、実は裏面にも問題があったりして、急に焦ったことがあるのは、オッチョコチョイの私だけではないはず。
大人になれば、そうそう毎回ひっかかるものでもないけれど、それでも時には見逃していることもある。
 
それが物理的な紙で有れば、裏返して見る、という行為でひとつは解決するものの、そう言った「形を持たないもの」の場合は要注意。
 
情報とは本来的に形を持たない、たまたま紙というメディアに落とし込まれた情報は形を持つこともあるが、それ以外のどんな形にもなり得るもの。
それに「裏」があるのかないのかは、特に意識していないと忘れがちになる。
 
情報は情報。だからある人にとってのみ意味のある場合もあれば、ほぼ多くの人に意味のあるものもある。だれかに都合のいい情報は、他の誰かには都合の悪いこともある。
全員に良いことは、基本的に起こらない。利便を得る人もあれば、そうでない人もいる。それがジェネレーションという階層対立なのか、地域対立なのか、国家対立なのか、企業対立なのか、宗教対立なのか。はたまた生物種の対立なのか、思想対立なのか、さまざまな考え方、ポジションの取り方で変わる。その違う側面、裏側をどのくらい意識できるか?
 
それを「対立」として「面倒な事」とみるのか、いやいや「違い」という「価値あるもの」として理解するのか。
 
そもそも、どちらが表なのかすら決まっていないのだから。