選択できる

中学、高校時代。ガンバッテ勉強して、より良い学校へ行って…などといった時代があった。今でこそ、最高学府へ行ったところで将来など保証されるものではない…と言う認識が広まりつつあるけれど、それでもまだガンバッテ勉強する。

 

クラスで上位、学年で上位になればなるほど、「選択権」が得られる。あそこの学校に行ってもいい、こちらの学校でもいい。まさに「自分が思うように、自分で選べる」立場になれる。しかし(誤解を恐れずに言えば)下位に甘んじるほど、選択権が奪われる。ここ“しか”行けませんよ、他に選択肢はありませんよ。自分が希望する/しないにかかわらず、自分の進む道がある意味狭まってしまう。

 

誤解してもらいたくないのだが、だから勉強ができる人のみが「成功する」とか「幸せになる」などと言うつもりはない。勉強は苦手でも、スポーツで、芸術で、何か打ち込むべきことで秀でることで、リーディングパーソンになることはもちろん可能だ。

 

しかし、どんな道を歩むにしても、自分が進む道をしっかりと自らが見据え、自分の責務として(たとえそれしか選べる道がなかったとしても)選択する覚悟が必要だろう。そして、多くの人はそこで何を選択していいのか、何が正解の選択なのかが分からないから、ついつい後回しにしてしまう。

いや、早い段階で選択したって全然かまわないはずなのだ。

それを選んだ覚悟を当人が自覚できていれば。