継続するほど待てない世の中

中途採用でいい人をとるんだ。

 
本来ならば自社の中で工面できたはずの社員を、マネジメントの失敗で放出せざるを得なくなった会社。
それら各社のリストラ(本来の構造改革ではなく、人減らしの意)が横行するのと呼応して、これから業績を上げたいと思っている企業は、この機会に(他社において育てられた)いい人材を獲得しようと奔走したり。
辞めた人は辞めた人で、自分の実力がいかほどなのか、昨今では独自基準ではなくて、どこでも普遍的に、明確に示すラベルとして、資格、○○検定なんていうのが当たり前のように使われる。これも時代を反映して、昔なら英検、最近ではTOEICなんてのに切り替わったりするのだが。
 
私設資格試験。いろいろあるけれど、漢字検定などは定着した感も。まぁ本当に企業がそれ“だけ”を気にしていることはないんだけどね。
 
そんな私設資格。いろいろあったけれど、ニュース検定、○○検定など、流行り廃りもある。一時盛り上がったり、その開催会社が力を入れていたけれど、結果的にその後パッとしないものも多い。
 
どんなものでもそうだけれど、開始早々盛り上がるはずもない。長年やり続けてやっと、その意義や意味が見出され、そしてそこまでやったからこそ他社にはまねできないブランドになる。プロモートし続ける、価値を訴え続けなければ、認められない。耐えなければならない時期は短くない。
が、昨今はその主催者側本体もそんなにお金もかけられず、あぁ、ダメだね、何回(何年)かやってみたけど盛り上がらないね…などと数年で諦めてしまう。そりゃ流行らないし、世間が認めようがない。
要するに、すぐに儲からなきゃやめちまえ、すぐに効果が出なきゃ意味がない(と判断する)、こればっかりだ。 
 
子供の頃は確かにそうだ。やった効果がすぐにわかる。点数が上がる。ほとんどがそれ。今やったことが遅くとも明日には成果が出る。子供だからそんなに我慢できないし、待っていられない。長い時間での成果とトレーニングの関係性は、なかなか理解しづらい。
しかし、勉強の中身が難しくなって、理解するのが難しかったり、体得するのに時間がかかるモノは、継続して初めて効果が出る。語学学習なんてまさにそうだろう。
でも、世間ではやっぱり待てないからこそ、世間にはその手の本が山ほど出る。
「一週間で○○」とか「10日で復習できる○○」とか
 
要は、世間が我慢できなくなった、速習であるほどいい、早ければ早いほどいいという時代。
 
しかし、熱しやすいものは冷めやすい。即席であるものは、どこかにその影響があるものだ。以前はその部分で品質を創り出していたり、信頼を創り出していたんじゃないか。その分、今は何かを犠牲にしているんじゃないか。そんな気がしてならない。
 
なんかふたつの事がごっちゃになった。
試験実施側の我慢のなさと、学習側の成果確認までの時間のなさと。
結果的に、本来ならもう少しきちんと長い目で時間をかけると、とても大きな成果や底上げにつながる人や企業が、それを我慢できずに、成長できずに捨てられていく。効率を求めた結果、なにか中途半端にできない者ばかりを生み出している世の中になっていないかな。
目の前のことだけをなんとか、今季の業績「のみ」で判断という短期判断することで、結局効率を落としていたりしないかと。
疑問を持てなくなったら、負けてませんかね。考えてますかね?