違いとは差分である
あなたはどうですか?○○に関して「普通」ですか?
何のことについても構わないけれど、「普通かどうか?」を問われる方がいる。メディアの質問項目などもこれがあったりする。
普通と言うことの定義もあいまいなら、どんな範囲をターゲットとしているかもあいまいな場合がほとんどであり、得られる答えは結局、その被質問者の主観的感想に過ぎないことがほとんど。
ターゲット層が設定されていれば、「普通」とは、そのターゲット層の平均値からの乖離度合と考えることもできるだろう。が、その平均値をどうやってとる?統計データなどあるのか?など、客観的数値が出ている場合はほとんどなく、「「その平均値をどう見ているか?」という意見がどれだけブレていないのか」を見る指標程度の意味しかないことが少なくない。
そもそも普通かどうか?に限らず、なにかを判断するには、自分がその「基準値」からどのくらい違いがあるか、差分があるかを認識する必要がある。であるため、上記にあるように、
・基準が何かを理解し、
・自分がどうなのかを客観的に判断し、
・その両者の差分を正確に把握、
したうえではじめて、違いが理解できるもの。
奇しくも、己を知り、相手を知れば…という言葉そのもの。
比較対象が不明確、あるいはない物において、違いを提示する事自体が難しい。
違いとは何か対象物との差分でしかない。対象物を何にとるのか?それを提示せずして違いを聞いたところで、その情報は何を知りたいのだろうか?
というところを考えて見たり。で、お知りになりたいことは?