情報は「情報だけ」でなく

ポートレート写真。ボケを効果的に使い、雰囲気の中にその人がくっきり浮かんでいる写真は、いい写真に見えることが多い。だからといってその人だけをマスク処理して切り出した、クッキリ浮き出している写真や、周りの情報を切り取って、人型だけを抜き出した写真は意味が違ってくる。雰囲気の中でのその人という情報。それがポートレート

 

こう考えると、ノイズがあるにもかかわらず、それがいい。ノイズを混ぜるから「情報」が映えてくる。

逆に、純粋に「情報」だけしか伝えないとすると、思ったことが伝わらなかったりするんだよね。

周りも含めて、それがあり、それ自身が環境の一部でもあると。


 

backspace.fm

奇しくも、上記のPodcastで、アナウンサーの方がノイズの重要性について語っていらした。雑音があることで臨場感が出たり、伝えたい情報が伝わったり。

 

そう考えると、「純粋にターゲットの情報」だけに絞った情報を提示することが、「正しく、正確に、素早く情報を伝える事ではない。」と言うことが見えてくる。

あらためて考えれば、掲示物たるポスターなども同じこと。文字情報だけがあれば伝わるか、伝えたい事だけを書いてあればいいのか?というとそうではない色味や形、その他の情報や雰囲気が作り出すその周りに付帯する情報が、本体の情報を映えさせていることもあるのではないだろうか?

 

と考えると、効率化効率化、と叫び、無駄を排除することで、一見正確無比に何でもできると考えるのも再考する必要はないのか?適度のノイズがあるから、周りの中にあるからこそ、その中心にあるモノが意味を持つ。情報の授受も、そういった認知特性があるのではないかと。