小さな可能性に翻弄される

小さいころならまだしも、大人になっても小さなことに捕われることは数知れず。

バーゲンセールや、ちょっとしたクーポン、それらで店は「人に来てもらおう、あわよくばついでにお目当て以外にもう一つ購入を」と誘い込む。結果、本当は必要ない物まで買い込んだ経験のない人を探してみたくなるほど。

 

だが、そんなことばかりを気にしている、いわゆるリスク「しか」見ない人もいる。

危険ばかりにとらわれる人

○○になったらどうするんだ!

確かに、そうなる「可能性」はあるだろうが、だからと言ってそれにまつわる「一切をやめる」ことによるデメリットはどう考えるのか?といった事に目を向けない。
ある意味、すべては0か1か、起きるか起きないかでしか理解できず、起きる可能性、起きない可能性、その際に得られる価値、失う価値といった期待値を知らない、理解できない人。
 
絶対安全とは、危険の可能性0でなければあり得ない。となると、すべての事象においてそれらは極々微小ながらも必ず可能性を残しているもの。ただし、それが「極小」であるがゆえに、「ない」とか0だと勝手に思い込んでいるだけだ。0と、ほとんど0に近い、と言う間の大きな違いをどれだけ認識できるか、共通認識かできるか?
 
そして昨今、そんな「小さな可能性」という意見に翻弄されることが増えてきた。
まぁ、自由にモノが言えると言う社会の裏の側面ともいえるのだろうけれど。