見えない道

中学高校の時は、ふと気が付くと、中間テスト、期末テストとテストテストに追いまくられていたような気がする。なんか少し勉強したと思ったら確認、確認、確認…。

しかし今思うと、そうして少しずつステップを踏む、どこで躓いたのかがわかるシステムは理に適っているということ。ただし、私が受けた当時の教育においてはそこで躓いたよということが分かったとしても、フォローアップが弱かった気がしていて、要するに、どんどん「ふるい落とす」だけになっていたような気もするが。

 

ある所まで行きつくと、充実感、達成感、やりきった感が満ちることがある。山登りなどが特徴的で、「頂上」に着いたか否かは明白にわかる。だがそれをもって「終点」と見るか「始点」と見るかは人それぞれ。

 

ある人は、そこをもって「達成した」と満たされて、それで終わり』になる。が、別の人はそこでの「達成」をもって、『次のさらに大きな達成を目指すスタート』になることも。

 

それで終わりにするのか、それが新たな始まりになるのか?
終わりにする人は、たぶん「今」を見ている。今やっていることが終わった、今やらなければならないことが決着したということ。
始まりにする人は、たぶん「先」や「これから」を見ている。今がこうなるなら、ならこの先は?これからは?

山登りでは、その山の頂上より上には行けないのは当然。だが、「ほかにもっと高い山がある、それも征服していきたい」と思える人もいる。

 

そこを終点と見るか次への始点と見るか?

見えない道を見る力。この先に期待する力。