イノベーションの種

驚くべきイノベーションは、どこから生まれるのか?

少し考えればわかる事だろうけれど、「計画」からは「驚くべき…」は、普通生まれない。「こんなものを生み出そう!」と頑張ってできたものは、確かにすごいものだろうけれど、驚くものではなく、努力の結果としてできたもの。「すごいもの」と「驚くべき」の差をどうとらえるか、かも。

 

計画からは、見える範囲、想定の範囲に収めることしかできないのが通常。計画通りにやろうとしたところで、たいていは計画通りにまで至らずに、ちょっと足りなかったり、ちょっと遅れたりしてやっと到達できる程度。思っていたところにたどり着くには、どこかに大きな転換点や、発想の飛躍が必要になる。

だから、〇〇賞を受賞するような、世界をひっくり返しかねないイノベーションを成し遂げたり、発見したりするのは、思ってもいなかった結果、思ってもいなかった動作、思ってもいなかった作用の結果。であるからこそ、多くのそうしたイノベーションが「失敗」話を持っている。

 

失敗。それは常識で考えれば、計画の中では、「そんなことはやってはいけない事」とか「やるべきことではない事」になってしまったこと。モノを壊してしまったり、成分を間違えたり、配合比率を間違えたり。だから「計画」から考えているものにおいては、無駄、成果が出なかった事。
が、その結果として生まれたものを、何も考えずに「はい失敗!」として捨ててしまうのではなく、しっかりと見つめ、振り返り、失敗から得られることを肝に銘じたからこそ生まれる情報(そしてそれは、当初の想定には含まれていないもの)を拾い上げ、そこを伸ばすことにより得るものを身に着ける。

 

「過去に郷愁」という意味の振り返りではなく、「同じ轍を踏まない」という振り返りをいかにきちんと行うか。きちんと見極めるか、常に考えているか、常に観察しているか。

…と考えるとやっぱり、常にそれが頭の片隅になければ、単なる作業としてみているだけでは、考えが至らないだろう。考え続ける、興味を持ち続けること、想像し続けること。