勝ち取ったもの、与えられたもの
勝ち取ったものは、そうそう簡単には失わないし、失えないもの。
与えられたものは、簡単に要らなくなったり、不要になったりもする。
実は「得たことによる価値」は、「得るための努力」によって、その一部ができているんじゃないかと思うくらい。
だから何にせよ、精一杯「努力をしてそれを得た」人は、「それ」を大切にする。けれど、それが案外簡単に手に入った人は、簡単に手放したりもする。そう考えれば、「その価値」は、絶対的価値観ではなく、その人にとっての価値観でしかない。周りから見ればなんと勿体無い…と思っても、相対価値だから、当人にとってはなんてこともない。
自分にとって大切なものだからと言って、他人にも大切とは限らない。
自分にとってスゴイ事であったとしても、他人には何でもない。
逆に、自分には当たり前でも、他人には物凄い技術であることもあったり。
自分では毎日やっている事でも、他人には初めて見る珍しいこともあり得る。
自分が決めているモノと、他人が決めているモノと。この二つを混同したり、取り違えたりすることで、事実を読み違えたりもする。だから、「誰の立場で」考えるべきか?「誰の価値観で」進めるべきかは、時々に応じて、よく考えたほうがいい。あまりに他人におもねりすぎるのもおかしな話だし、自分に固執しすぎるのもこれまたおかしな話だ。
要は、よく考えろよ、という事に尽きるのだが。
あなたの「持っているもの」は、何ですか?