会社

すでに6月の新入社員向けの就職活動解禁…なども、事実上形骸化していることは皆しりつつも、ほぼ入れるべき人は落としどころが決まった就職活動が展開している今の日本。そもそも、大学卒業生の「青田買い」と言った、「一斉就職」状況すら事実上崩壊しつつある日本で、そんな形骸化した協定の意味を冷ややかに見つめている人もいるのではないだろうか?

形の上で「第二新卒」などと言う訳の分からない言葉まで出てきている始末。もう何時から働きだしたっていいし、いつ会社を辞めて大学に舞い戻ったっていい、労働人口と学問の府の流動化を真剣に考えたほうが良いと思うのだが。

 

何にせよ、日本においてはまだまだ「会社を興す」人よりも「会社に入る」人の方が圧倒的に多いだろう。ところでなんのために、会社に「入る」のか?

多くはきっとこういうだろう。

それは生活のためだ、と。

これは言い換えるなら、「会社」を「手段」として見ているという事になるだろう。

もしも、株や債券の運用で生活ができるという人がいたら、別に会社に入る必要はない。手段が切り替わるとはそういう事だ。

特に今までの多くの会社では、就業規則などによって、別の仕事で稼ぐことを禁じていたことが多くあったが、昨今、ネットビジネスを含め、簡単に始められる仕事を隠れてやり始めている輩もいるため、事実上、兼業はほぼあちこちに散在している状態だろう。

明示的に「二足の草鞋」を履いていて、会社員をやりながら、大学の非常勤講師などと言う人もいたりする。もう兼業が当たり前となってもいい時代なのだろう。

 

起業家、それもたぶん優れたというか、世間から認められるような起業家には、同じように、「会社を手段」としている人が多いような気がしている。

多くの人の職を生み出すため。みんなが働ける環境を作るため。そのために「会社」という道具を使って、雇用機会を生み出し、新しい技術を開発し、今までにない仕事を作り出す。

もしかしたら、「会社」以外によってそのようなことができれば、それはそれで一つの解。だから「目的」のためには、「会社以外の別の手段」もあり得る場合はある。

 

ただ、起業家によっては、「会社」が手段ではなく、一種の目的になっている人がいる様に見える。全員ではないが、「会社を大きくして、地位を得る」とか「会社を大きくすることで、金を得る」という、限りなく目的に近い手段として「会社」をとらえている人だ。

こういう人においては、上記のような、雇用機会云々ではなく、いかに会社の価値を高めるか…ということに腐心する。いわゆる自分のための会社だろう。一般的には、会社の価値を高めるためには、より高い崇高な目的を目指した会社にすることが求められるのだけれど、近視眼的に「会社」に目を向けて、会社価値を高めることで、自分の目的を達そうとする。こういう会社がブラック企業的振る舞いをしがちなのは、これもまた枚挙にいとまがないように思うのだが。

 

 

いわゆる名の通った会社においてさえ、最近はブラック的働きを強いられる状況を見聞きする。そうでなくても日本は働き手が減る一方なのに。この先、「日本の会社」はどうやって生き延びるのだろうか?結果的に、こうして、欧米の働き方へのシフトが日本を席巻するのだろうか?

不穏な空気を感じる。