使いこなすってどういうこと

時々、iPhoneiPadなどのタブレットで、写真の撮り方などを見せてあげたり、アプリの使い方を教えてあげたりする機会があったりするのだけれど、その際に、たいていの人がこう言う。

うわぁ、使いこなしてますね。私なんかまだ全然使いこなせてなくて。

 

まぁ日本人だから謙遜も多分にあるだろうけれど、それを抜きにしたところで、いわゆるスマホを「使いこなせていない」と思っている人は、けっこういるのかなと思っている。

で、思うのですよ。使いこなせてないってどういうことなのか?逆に使いこなせてるってどういう状態なのか?

 

たぶん、やりたいと思っている何かが、まだできていないとか、やり方が分からない…となると、それは確かに使いこなせていない、という部類なのでしょう。

でも、もし本当にそうした機能やアプリを使いたければ、使う必要に迫られれば、たぶん誰かに聞いたり、何かを調べたりしているはず。それすらやらずに今になっている…とするならば、そもそもそれは「本当にやりたかったことじゃない」という可能性、高くないですか?できてなくてもよかったことじゃないですか?できてなくてもよかったことは、できなくても、使えなくても、問題ないんじゃないですか?

 

逆のアプローチもある。じゃぁどんな状態になれば、「使いこなせているわぁ!」と言えるのか、イメージできているのだろうか?と。あの機能と、この機能と、あんなことができる状況…って考えられているだろうか?たぶん、日々の生活の上では、3つ、4つの機能を使いまわしているのがほとんどで、それ以外の機能はまず使わなかったりするという人がほとんどのはず。でもそれで不便を感じてますか?何か使っていない機能がぼんやりある事をもって、「使いこなしていない」となんとなく語っていませんか?

 

やりたいことが正確にわからなければ、ゴールが定義できないわけで、ゴールが定義できないのに、「できていない」とはなかなか言えないはず。

結局、事の大きい小さいはあるけれど、自分自身のやりたいことが自分で見えていないということをもって、「使いこなせていない」という言葉につながっている人が大半なんじゃないかと、ね。