自分と世界

人生の岐路、早くは幼稚園や小学校のお受験で始まる人もいるだろう。日本においては、多くは高校受験が最初じゃないだろうか。そしてその次が、専門学校か、大学。とはいえひところに比べると、大学も入りやすくなったものだ。レベルを気にしなければたぶん全員入学できる。…であるからこそ、入る場所、学校が重要なのだけれど。

 

そんな岐路をくぐりぬけて、なんとか社会人になったとしても、やっぱり迷いは訪れる。自分はどうすればいいのか?誰かに相談したくもなる。

こんな場面で、よく人は「自分探し」に出かけたりする。悪くはない。だが自身の経験からすると、「自分探し」それ自体が目的になって、ずっと探し続ける人もいる。あまりよくない傾向だと思う。もちろん、探し続けて生き続けられるのならそれもその人の人生なので口出しするつもりはないけれど、たいていはあまり良い結果に結びつかない事も。だから「自分」にある程度の期間で、仮でも「今の自分」としての結果を出すこと。ただ「今」があるのは、連綿とつながる過去があるからこそあるもの。だから「昔からの自分の流れ」という自分の線、流れを見つけるという事。

 

だが上記の自分だけを見つけて終わる人がいる。ただ、社会の中で生きていくためには、組織の中で生きていくためには、周りを知る必要がある。自分だけ知っていたとしても、その中の何がこれからにつながるのかがわからない。それを見つけるために社会の流れを見つけること。

 

この二つが見つかってはじめて、自分の方向性を捕まえることができる。そう、二本の線が見つかったのだから、交点、クロスポイントを見つければよいだけの話だ。

ただし、自分も、世界も、動き続けている。このクロスポイントはすぐに離れていく。だからそのクロスポイントを見つけたら、自分の線/流れを、それに合わせていくこと、沿わせていくこと。これができれば少なくとも食いっぱぐれることはない。人によっては、これを世界線ときちんとシンクロさせ、常に必要とされる人になっている人もいる。

 

見つけるべきは自分の流れ、そして世界の流れ、このふたつ。
その上で、自分の戦略を立てるべし。