効率化における

すでに日本は人口が減り始めていて、今までと同じ作り方、同じやり方でモノづくり、サービスづくり、付加価値づくりをしているようでは世界における地位は一方的に下がるのみ。だから効率を上げろ、生産性を上げろと言われる。

最近、若干「生産性」に切り替わりつつあるが、それでもいまだに言われ続けている「効率化」。この究極の効率化はというと、考えればすぐにわかるが、すべてを同じにすること。まったく同じものを皆が使う事。

同じ内容を提供するマシンは2種類などいらない。多様性を認めるがゆえに、別々の材料を用意し、別々の作り方が必要になる。となると作業的効率化も難しくなり、どちらか一方だけ売れ筋が偏れば、他方は在庫になる。だからこそ全く同じもの1種類にする。これに尽きる。

 

…と考えることはできるけれど、決してそうは踏み切らない。それは顧客サイドで、ユーザーサードでは「効率化」を求めておらず、多様性や個性を求めた上で安くて良いものを求めているからだ。

これで察しが付くと思うけれど、効率化といったところで限界がある。無限に効率アップできるわけがない。だからむやみやたらと効率化を叫ぶだけでなく、何をどのくらいという目標値が必要になるはずだが、それが出ている職場は、仕事の現場はあるのだろうか?なんとなく数字を掲げているのではなく、これをこのくらい効率化する…と見えているのだろうか?支持する側も、される側も、なんとなくで進んでいる現場。これこそもっとも効率が上がっていない現場ではないだろうか?

 

たぶん最大の要因は、指示する側の怠慢ではないかと思う。何をどのくらい効率アップということを目指している具体的目標を示せない時点で、指示する側は失格。それを忖度してくれる部下だから、国民だからこそ今まではもしかすると回っていたかもしれないが、もう無理だろう。働いてくれる人のマインドも変わってきていますよ?

 

とはいえ、指示された側は何かをしていなければ仕事にならないのだから、なんとなく、効率が上がる…ように見えるところに手を付けてみたりする。当然、劇的成果とはかけ離れているのだが。万が一そこで効率が上がっても、よくあるのが部分最適化。でも求めているのは全体最適化ではないのですか?それを個々の現場、担当に求めて、成し遂げられると考えますか?

モチベーションを上げたいとか、御大層なことを言う現場のリーダーは多い。だが、その責務の多くは現場リーダーの責任ではないのか?心躍るような目標、やり遂げれば達成感の得られる成果を目標として示せていない時点で、効率化など夢のまた夢。

いや、多分今までの日本の多くの現場リーダーは、そうしたことをしていなかった、できていなかった、それでも回ってきたんでしょう。でももうその時代は終焉を迎えているのではないですか?