リスクの許容範囲

大きな台風が日本をぶった切る形で進んだのだけれど、それによって物理的、経済的な損失を被った人もたくさん出たわけで。

行く予定だったところに行けなかった人、行くのにとんでもなく時間がかかってしまった人。ちょうど夏休みと重なった人も少なくなく、ヘトヘトになりながらも、何とか目的地にたどり着く、ふぅ、やっと着いたという状況で精一杯に。

お店はお店で、その日に見込んでいた人々の行動の予想がことごとく外れ、経済的打撃を受けるわけだけれど、昔と違ってTwitterその他でそれら情報が、あっという間に広がる。


ところで、どうしてそこへ行くんでしたっけ?どうしてそれらを仕入れるんでしたっけ?なぜにその準備をし、どうして今いかねばならないのか?
時に目的があいまいであると、目の前の行動をとりあえず遂行するしか選択肢がなくなるということがある。どうしてそれをするのか、なぜ今するのか?目的が分からなければ、「とりあえず」とか「だまって」その予定されていた事をするしか手がなくなる。
要するに回避すべき余裕が見えなくなる。どこまでの範囲でそこから離れていいのか、逃げていいのか、回避していいのかは、俯瞰した目を持っていないと見えてこない。

 

だってやれと言われたから
だって今しか時間がないし
だって休暇はこの数日間だけなのだから
だって本部がそういうから
だって上司がそう命令しているし

 

分からないではないけれど、そもそもの目的をきちんと意識していないと、目の前の事象に(危険を顧みずに)がむしゃらに突っ込まされて被害をこうむるのはすべて現場だ。
どうしてそうすることになったか、どうして今やるのか。時にそもそも論に立ち戻る勇気がなければ、リスクの許容範囲は見えてこない。

 

でも最近は、その「そもそも…」に立ち返る時間さえ削る方向にあるんだよね。
だからリスクの取りかただってわからなくなるわけで。