前提条件

かつてのテレビ番組に、「電子立国」という番組があったのをご存知の方はいらっしゃるだろうか?今でいうNHKスペシャルの枠で、日本が電子立国として成り立ってきた経緯などを丁寧に取材した、かなり力の入った番組だった。

 

だがそこから約25年。今や家電メーカーは総崩れ。各社リストラの嵐で、内部は戦々恐々としているのではないかと想像されるのだがいかがなものだろう?

別に家電メーカーのみではない、その他のメーカーだって推して知るべしだ。ワンオペで有名なあの企業も、そんなに安い価格で回す事、すなわち人件費を犠牲にしてやり続けていたことにより回らなくなってきたひずみが発覚しただけだろうし、中国産のチキンで問題が出た様々な企業においても、ある種のコスト削減の施策が行き過ぎた、安全面での施策がきちんと回らなくなるほどにコスト重視に踏み込んでしまった結果だと言えなくもないんじゃないだろうか?


そもそも、そうした自体はどうして起きるのか?より安く物を作らなければ競争に打ち勝てないと言う環境がなしえる力。
なぜより安く作らなければならないのか?それはそうしなければ売り上げが、儲けを増やしていくという計画を立てられないから。
そもそも、儲けや売り上げを増やしていく、右方上がりに年々大きくなるのが前提だというところに乗っかろうとするところで苦しさが出てくる。特に内需の幅が大きければ大きいほど。

以前のように、黙っていても人口が増えるという前提であれば、さしたる技術革新がなくとも、後から見れば対して価値のない新製品であったとしても、新しいと言う事でいくらか多めにお金を支払ってくれた。しかし、右方上がりに消費が伸びないことが見えてくると、当然にその本質に切り込まなければ売り上げは伸びない。そこまで作り手側は当然のように右方上がりに経営指標を作って来たのみならず、買い手側も同じく、右方上がりの付加価値に慣らされてきているために、価格にはシビアになる。

そうした「右方上がり」が前提になったところで、すでに「右方が上がらなくなった」状況に対処しようとするから無茶が出るし、無理やしわ寄せがおきる。

…と言うのは、今更ながら書くまでもない。


しかし、では同じ前提条件のところはまだ残っていないだろうか?上記にあるように、たまたま今回はあの企業とこの企業でそういう不祥事が起きたけれど、それはその企業だけだろうか?

ふと見回すと、いろいろな業態において、派遣業務が花盛り。20年前なら当然社内に抱えてきた社員が行っていた内容の作業を、外部に委託してやる。ある種特別な日本型雇用で、一度社員として雇い入れると簡単にはやめさせられないという縛りに対抗するために、こういった形で右方上がりが維持できない状況に対処する。

右方上がりの前提は、言うまでもなく年金がそうだ。いくら大丈夫ですなどと言われても、この前提で計算されているうちは、誰も信じなくなる日もそう遠くはない。

「低経済成長でも○○…」と言われても、人口がそれでも緩やかに増えていった時代での1%成長と、人口が緩やかに、就労人口が劇的に下がり始めている時代での1%成長とでは、就労世代における劇的な経済革新や成長のための負荷がいかほどになるのかは推して知るべしだろう。

 

今は日本だけが突出して人口が下がっているように見えるが、後を追う国はあちこちにある。あの中国は多分早晩恐ろしい勢いで人口が減り始めるのは目に見えている。
今開発すべきは、技術革新もそうだけれど、新しい経済基盤、右方が上がらない時においても成立する経済理論を必要としているはずだ。

同じ前提条件、右方上がりに乗っかって唱えられていることはなにか?そいつに気づくことがまず第一じゃないのかな。話はその大前提を疑わなければ、堂々巡りになることがおおすぎて。