制約などない…

「何でもやっていい、自由にしていいよ」

こう言われると逆に、何をしていいのかよくわからなくなる、なんていう人は少なくない。

が、本当に冷静に考えてみる。「そこには何の制約もない事由があるのか?」と。

 

子供に画用紙を渡して、さぁ、自由に書いてごらん!と言ったところで、そこには紙の大きさと言う限界があり、書くための道具と言う限界もある。時間も、お金も限界がある。ただ、「子供の意識として」自由に書くことが許されているだけだ。

 

大人にしたってそうだ。「自由だ!」という場合の“自由”の多くは、「○○については」という限定的自由に過ぎない。お金が無限に使えることなどない。時間が際限なくあるわけでもない。場所もリソースも、どこかに限界がある。いつもより使える量は多少多いかもしれないけれど、それでも必ず限界がある、制約はあるのだ。

 

そうした「いつもよりは大き目の制約」を「自由」と呼んでいるに過ぎない。「どこまでの」“自由”として与えられたものなのかを意識するほどでもないサイズに制約が拡大されたとも言える。

 

仕事をしている時に、「この制約があるからできない」などと言う場合がある。言い訳に使われたり、できない理由に使われたりする。

じゃぁ逆にどのくらいの「制約」ならできるのか?どこまでいまの制約を拡大することでできるのか?それが明確にわかっているだろうか?

それが分かれば、全体をサイズダウンするなり、もしくは他のところで制約を付けるのも一つのやり方だ。「ひとつの制約」だけを理由にするなど、そもそもできない理屈をぐちぐち口にしたところで仕方がないことがほとんど。

 

すべて「制約」。いつも「制約」。時々、いつも使っている量よりも多い量を与えられた時に「制約が外れた」などと言う事もあるけれど、いやいや、外れたなんかいない、拡大されただけだ。もしくは、今までのあなたの制約範囲が小さすぎただけかもしれない。

いつも「制約」なんだ。それとうまく付き合っていくしかない。