削られている時間
景気が良くなった…かもしれないアベノミクスだけれど、残念ながら私はその恩恵にあずかっている感覚はない。
それよりも、以前からずっと「早くしろ!」「安くしろ!」と言われるプレッシャーにおびえ続け、それに耐えるために頑張って仕事をしている感覚は、全くと言っていいほどぬぐえていない。
某社では、毎年毎年○%コスト削減することが目標だからね…なんて言われているらしいけれど、本当にそんなことが無限に続けられるのだろうか?もちろん、人の興味の対象がどんどんとずれていけばいいかもしれないけれど、同じところしか見ていなかったら、無限に良くなり続けるんだろうか?
本質的なところも話題にしたいけれど、そうでないところも。
良くするためには工夫が必要だし、コスト削減も迫られる。となると、トータル開発期間/工数も短くしなければならないために、結局スピード対応が要求される。
もちろん昨今のデジタルテクノロジーの恩恵によって、劇的にスピードアップした内容もあるだろう。が、ただ単に「時間がたっただけで」特にテクノロジー自体もその分野では大きな発展もなく、スピードアップなどできないところももちろんあるのではないか?
ところが、ある意味やみくものなんでもスピードアップが求められても、本来的ではない何かが犠牲になっているモノがある気がしてならない。
もちろん、競争社会だ。そうした価格競争、品質競争に対抗できなければ、その価値を認めてもらえなければ、市場から退場しなければならないかもしれない。
それを、本体的でない何かを犠牲にしてでも今目の前の物で生き延び続けるべきなのか?それとも、本来的でないなら、その価値を見出してもらえるところに移動するか、別の道に踏み出すことをしていくのか?
削り続けているのはなんなのか、削って生み出した価値は削ったもの以上に価値がある者なのか?作る人はもちろん、作らせる人もやっぱり考えるべきじゃないだろうか。賢い消費者となるために。