同じ という幻想

満足も、不満も、喜び、悲しみ、安心、不安、全部誰もが同じだということを前提にした議論が交わされていた。はてなマークが飛びまくった。

本当に同じだろうか?
 
全員がこれが欲しい、全員これが不満、全員これが楽しくて、全員これが良くって…て、あり得ないでしょ。
 
すでに、明らかに格差がつき始めている社会で、同じ前提で動いて、同じ議論として成り立つのか?そう、すでに「同じ」と言うところからスタートするところに疑問を感じるのだ。
 
ひと昔もふた昔も前、ほぼ全国民が中流意識を持てた時代は、もしかすると、「みんな同じようなことを求めている」前提でもよかったのかもしれない。が、すでにそれは雲散霧消している。
べつにピケティに言われるまでもなく、感覚的にそう思っていた人は多いのではないだろうか?ピケティ本と呼ばれる、あんなに高い、難しい、学術本がいっぱい売れているというのは、世界的にも特異なことらしいけれど、私の感覚としては、「何となく思っていたことに、学術的裏付けがついた…らしいことの確認」のために買ってらっしゃる人が多いんじゃないかと思うのだ。で、確認しているかどうかは知りませんけどね。
 
私?そんな難しい本を読む能力がない…orz