「食」というツール

最近、飲み会などの誘われることが少ないのだけれど…つくづく「食」はツールだなぁと思うのだ。

 

おいしい食事があれば、もちろん話も弾む。その上でコストパフォーマンスが良ければそれに越したことはないが、私の経験では、安いことを重視して大した食事じゃないよりも、ちょっと高いけれど食事がおいしい場合の方が、よほどその場が盛り上がる。

 

ここまでデフレと言われてきた何年かは、とくに食がツールとしてのそうしたポジションを崩しだし、少しは安く、少しお得感を感じられる方がという方向にばかりシフトしてきたのではないかと感じている。

たしかに、ユーザーの方も使える金額が減ってきていたりするので、安い方が「入りやすい」とは思うのだが、さて、入ったところで本当に話が弾んだのか、「安かろう悪かろうの食」を目の前にして、飲み会やパーティーが盛り上がったのか?ということがとても気になるのだ。

極端なことを言えば、「食事が出る空間」として、「食」に重きを置くと言うよりも「空間」に重きを置いてきた集まり、飲み会がここ10年ほどずっと占めて来たのではないだろうか?(いや、私の周りだけかもしれないのだけれど)

 

本当においしいもの、本当においしい場所、安ければさらにいいけれど、それよりもおいしいものを口にできる場という価値にもう少し気にしてみてもいいのではないか?と思うのだが。

 

本当においしいものを、気の置けない仲間と一緒に味わうことができる時間。これが私が思う、ひとつの幸せな時間。別に誰に押し付けるつもりもないけど。 またやりたいな。