資本家のビジョン

働き方改革。やり方はともあれこの効果があちこちでジワジワと効き始めている感覚を感じる。

仕事柄、さまざまな会社と情報をやり取りするのだけれど、残業規制が厳しくなったとか、水金だけは絶対に18時には退社だと言い始めている会社が多い。

 

とは言え、だからと言って仕事が楽になった…というよりも、今までよりも効率を上げて、働かなければならないという、ストレスとしてはより高まる方向での現場。

 

「働き方改革」によって、より効率よく働けるように、効率よく働いたことによって、今までより短い時間で今までと同じくらいの成果を…というのが、たぶんこの改革を先導している側、雇用者側のイメージだろう。

 

でもこれ、いつまで続くのだろうか?

 

そもそも、今この方向で働き方改革をしていったとしても、いずれどこかで限界が生じる。無限に効率を上げ続ける事など出来ない。そこでまた「次の働き方改革」をうたいだすつもりなのだろうか?

 

単なる効率化、時間当たりの収量/金銭価値をあげたところで、結局限界はいつもやってくる。それよりも資本家サイドが考えるべきは、どう働いてほしいのか、どう働かせたいのか、その結果どのような構造に、社会にしたいのか?というところがすっぽりと抜けていては、お題目は毎回違うものの、結果として「単なる効率化、現場絞り上げ」の名前のすげ替え以上の何物でもない…というのは皆が感じている事ではないだろうか?

 

どの施策も、「時間当たりの効率」ばかり、「時間当たりの得られる金額」ばかりを話題にしている。そうではなく、その今までの直線上にはない、全く違った価値観や、もしくは同一直線上ではあるけれど、うんと先まで飛んだ結果をどのように生み出せるのか?これこそが示すべきビジョンであり、付加価値のはずではないか。

 

そもそも、「働き方」改革とうたっているにもかかわらず、では働く側、労働者側が「こういう風に働きたいです」と言ってそのようにしてくれるわけないでしょ?どう見ても「働き方改革」と言う名の本質としての「働かせ方改革」でなければ、働く側の働き方が、変わるわけないじゃないですか。

 

そう、原因は資本家サイド、管理者サイド 、マネジメントサイドにある事がほとんど。

マネジメントぉ!しっかりしろよぉ!