時間を買う

現在のすべての商売において、ある意味すべての基準になっているのが「時間」だろう。その時間そのものを指しているのがファストフードをはじめとする「短時間」で仕上げましょうサービス。その短時間であっても、そこそこの満足できるサービスを提供することで成り立っている。

 

その裏を行くのが、「素晴らしい時間を提供しましょう」というアプローチ。高級レストランや料亭は、そこで出てくるサービスや環境、料理を提供するし、テーマパークや観光施設は、そこでの時間は「他では味わえない」体験や、経験を提供してくれる。

 

ただどちらにしてもお金がかかる話。どちらも時間当たりに得られる利益が基準で、それをいくらで提供してできるのか?がコストの話だ。

 

結局、お金を使って、時間を買う、これこそが究極の商売に。だから顧客サイドとしては、より効果的に過ごせる時間、より素晴らしい体験ができる時間を、時間当たりの価値観、満足感を、いかにして購入するか。

 

落ち着いてこの視点で物事を見始めれば、たとえ列車の自由席や指定席であっても、ファーストクラスやビジネス、エコノミークラスであっても、劇場の、S席、A席、B席であっても、「そこで過ごす時間にどれほどの期待をし、その対価を支払えるのか」に尽きる。

であるから、そこに求めるものが「自分のポジションで支払えるに比して得られるものが大きい」ものであれば、払うのはいとわないという割り切りはあって当然。であるからこそ、そうして自分の時間の価値を、どの程度自分なりに理解しているか、見つめているか、と言う方が実は大きいのではないだろうか?

「あんなに苦労しているのなら、ちょっと追加料金を払って、グレードアップすればいいのに」と思う人を世間では見かけることがある。もちろん、懐具合が厳しいからそこである意味我慢をしているのかもしれないが、得られるであろうモノに対して払う対価は、概して日本では小さく設定されていたりする。

 

…という事すら知らないという事こそが、情弱と呼ばれる所以なのかもしれない。最近のスマホの格安キャリアへの変更などまさにそれでは?

知らない…って、事自体で力を奪われている人が多いってことか。

知っている事それ自体が力。そしてそれを効率的に使える人には、さらに力が増していく。