すべてを正しく理解、する…

映画や小説、ドラマなどにおいて、事前に撒いていた伏線をきれいに刈り取ってくれるものは気持ちがいい。あぁ、あれがここでこうつながって…などなど、うまく構成されているドラマなどは、そのこと自体で感動すら覚える。

 

で、思うのだが、本当に自分は「正しく」「すべての」伏線を理解しているのだろうか?

 

実はあれってどういうことなのか?あの意味は何なのか?などなど、語られていないことって多くないだろうか?実は理解できていないことって結構ないだろうか?

自分たちが理解していることは、自分たちが気付いている部分においてのみで、そこはきれいにネタとして回収されているけれど、それ以外のところでは??ということ、ありませんか?昨今は映画やドラマのネタバレがうるさいけれど、そう言ったサイトで自分が見たコンテンツのものを見てみると、えっ、そんなのあったっけ?そんなことやってた?ってことは有りませんか?

 

要するに正しく理解している「つもり」になっているというか、自分が納得した範囲においての理解でしかないことの可能性に気付いているか否か。もちろん、うまい作品であればこそ、そうした形で「満足させてくれやすい」構造になっているわけだけれど、実はここはどうなっているのか?この部分はどうなのか?と疑問を持つことが重要では?

 

わざわざコンテンツごときで…という人もいるだろうけれど、コンテンツだからこそそれがわかりやすい。突っ込みどころを探す練習をするにはいい題材だったりするのではないかと考えている。だって現実は、それを確認できるすべがないまま進んでいくわけで、満足のいくように進めるためには、様々な事に気を使いながら進める以外に手はないのだから。

すべてが理解された、回収された…と思う前に、待てよ…あれってどういうことか?と一度考え直してみませんか?これ、実は人生で結構やくにたつと思うんですけど(笑)。