「正確さ」ポリス

「〇〇警察」という言い方があるらしい。

たとえば「VR警察」。これは、「ヴァーチャルリアリティ」とは何か?ということに関して、そうでないことに対して「VR]とか「ヴァーチャル…」と言っているのを見つけると、「間違っってます!」と事細かに指摘を飛ばす。昨今であれば、Twitterをはじめとするネットメディアでの批判が容赦なく飛ぶ。

まだ世間が慣れていない言葉において、たとえば最近なら「AIスピーカー」は「AIっていうな!」とか「仮想通貨」は「そもそもすべての通貨が仮想だろっ!暗号通貨って呼べっ!」とかとか。

 

気持ちはわからなくはないけれど、それに目くじらを立てたところで、さらに細かな分類が出てきたり、そもそもその言葉のオリジナルが生まれた海外での認識とでずれが出ていたりして、すべての言葉の意味を、全人類、いやいや全国民レベルでも、寸分たがわずに一致させることは不可能だ。言葉は生き物、成長する市変化する、だからより分類が細かくできているほうが正しい…わけではない。

 

そもそもを考えてみるといい。

たとえば病(やまい)とは何か?

近代医学が発達する以前は、せいぜい「体調が悪い」という「不調」から始まったはず。それでは対処のしようがないため、「じゃぁ頭が痛いの?腕?体?足?」くらいに分けてみる。さらに身体の「外側」か「中側」なのか。ここまでくると外科か内科か。

さらに内科にしても、心臓なのか、肺なのか、肝臓なのか、腎臓なのか…。

結局、人は、より細分化してくることにより、その問題「そのもの」を解決する方向へと突き進んできた。それはとりもなおさず、問題個所を細分化し、特定してきたことに他ならない。であるため、「少し以前」の分類で考えたところで「今」の分類では範囲が大きすぎたり、大まかすぎたりすることは、当たり前のようにあることだろう。

そして昨今は、それが遺伝子レベルにまで細分化が行き着きつつある状況か。

 

…そして思う。そうして完全に原子1つをピンポイントで修正できるようになったところで、それを修正することによるその周りの影響は無視できなくなって、周囲とのバランスをとって対処せざるを得なくなる…のでは。正確さを突き詰めて1点を見出すことで、その周囲とその関係とを一体としてバランスをとらなければならなくなる時がやがて来そうな気がしている。追及するために分解し、正確に一つ一つを理解することで、翻って全体としてとらえなければならなくなるのでは、ということ。