お金という道具
お金、通貨、なぜこれが使えるか分かる?と質問が投げかけられる。
それはね、使っている人みんなが、「これが使えると信じている」から使えるの、というのが現状の答えらしい。その意味では大変危うい、でもそう簡単には壊れないかもしれないシステム。
私は経済学として専門で学習したことはない。なので網羅性の高いことは言えないのだけれど、現行の現金と言う貨幣の特徴として、流通性と匿名性という特徴があるらしい。
流通している。みんなが使っているからどこでも使える、それは一部地域に限らず(現地通貨に交換してくれるシステムがあれば)事実上世界中どこでも使える。この使えることが重要なのはよくわかる。これは国内であっても、緊急時、災害時、モノが足りなくなった時を考えてみれば想像できる。お金があっても意味を持たない、誰も欲しいものと交換してくれないのなら、お金自身に価値はない。
もう一つ、匿名性。現金で使ったことによって、そこには名前はくっついていかない。誰が使ったのかは、お札や硬貨だけを見たところで判別できない事が重要らしい。
しかしこれらも、「日本銀行券」のように偽札が作りにくいものならともかく、世界はすでに「偽札」がかなり横行し始めている通貨も現存する。となると、誰が使ったかも追いかけたくなるのが現実。実際のところ、すでに今の「日本銀行券」であろうと、お札のナンバーがある程度トレースできるらしい。現金であっても追いかけることは不可能ではなくなるのも時間の問題かもしれない。
そもそも、現金を使う際には「顔」を見て、こいつ偽札を使わないよなという信頼が、心のどこかにあるはずだ。日本のお札は作りにくいから信頼しているという事もあり、さらにそれに、その人の外見、容姿、態度で判断しているという信頼があっての上での通貨。
とは言え、他方で今の日本においては、「プライバシー情報」に対して、非常に過剰に反応する人々がいる。だが考えても見てほしい。完全にプライバシー情報を隠蔽してしまって、その人固有のサービスを受けられるはずはないではないか。その人の特性(どの地域でよく利用する、どのサービスをよく利用する)が見えてくるからこそ、それに応じたクーポンも出せるし、得意客であればそれに応じた割引サービスも提供できる。これはプライバシーとして行動が筒抜けになる事とのトレードオフに他ならない。
お金という道具がなくなる世界は、今の経済の回り方が続く以上、もうあり得ない。となると、お金、それはお札や硬貨といった形あるモノであろうと、情報としての電子マネーであろうと、これなしに生活は回らない。どこにバランスを置いて、誰にどのような情報を提供しながら、誰にどもメリットをどのくらい還元しながら使える道具にするのか?という、壮大な国規模の、そして地球規模の実験を、たぶんこれから数十年かけて実施し、落としどころを探っていくことになるんだろう。
だってすでにそうじゃないですか。あなただって、〇〇ポイントカード、使ってるんでしょ?その規約に、情報をある程度の匿名化で売買するよって書いてあったりしませんか?