それで失うもの

仕事をしている場合に限らず、何かを行っているときに、失敗することはよくある事。それが、ちょっとしたことでリカバリーできるような失敗もあれば、取り返しのつかない大きな失敗もある。

 

ただ、「その失敗で失うもの」はよく考えてみるべきだろう。
それは特に現代日本においてはその職場によるところが多いだろうのだけれど。さて、それを失敗したことであなたは何を失うだろう?次のボーナス?地位?名誉?人生?友人?

 

日本の、それも仕事の現場における失敗で受ける痛手は、「怒られること」だろう。あまり好きな人はいない。それは直属の上司に、発注元に、お客様に、「怒られる」。頭を下げなければならないし、説明が求められうこともある。面倒な事態だ。

…であるがゆえに、当然ながら失敗したくない。それをもってして「新しいこと(失敗の可能性がとても高まる事)に挑まない」という状況が生まれる。

 

ただ、「怒られること」で失うものは何だろう?もちろん、気分のいいことではない。だが「怒られたから」と言って、あなたの人間性の何かを失うだろうか?あなたの本質の何かを失うだろうか?事の大きさによるけれど、場合によっては昇進できなくなるかもしれないといったこともあるだろう。そう、それで失うのは実は「あなたの本質を見定めてもらえる機会が与えられる事」が失われる、もしくは数が減るということではないだろうか?

 

人間なのだから完璧などありえない。なんらか失敗はするのだ。そしてそれをそうそう簡単に起きないようにするために、人はそれぞれに工夫したり、スキルを上げたりしている。
決して「失敗したことそれ自体だけ」で、あなたの大きな何かが決まることはない。それが決まるのは「決まる場面、判定の場」で決められること。もちろん、それが「日々の仕事ぶり」ということになっていることもないことは無いけれど、繰り返しになるが「失敗をゼロ」にはできない。必ずなんらか間違いは起き得る。それをいかにリカバリーしていくか、小さくとどめておくか。それを、日常を通して日々フィードバックをかけ、自分を高めていくこと。これ以外にない。

 

だから、「失敗を恐れて小さくなる」ことの大半は損なのだ。逆に「早期に小さな失敗を重ね、それによってフィードバックをかけて、大きな失敗につなげないように進化できるかどうか」の成長こそが求められていること。

 

だから、失敗を恐れて小さくなる事…の方が実は損失が大きいことは無いのか。それよりも機会を失うことを意識すべきではないだろうか?