決めてもらいたくないこと

仕事のできない方々の典型として、このように言われることがある。「指示待ち族」とか、「言われたことしかやらない」とか。確かに、そういう人がいるのは事実。だが場合によってはそういう人たちが言われたこと以外をやろうとすることを持って「勝手に自分のやることを広げるな」などとお叱りを受ける派遣の方などもいると聞く。

上記のように怒る人はどう考えているのか?結構、怒る側の勝手な都合で、上記のように怒る事もあるのに、場合によっては上記とは逆に、「そこは当たり前のことだろう、考えて行動しろよ」と言われたことはありませんか?

 

指示を出すだけで、その指示「のみ」を行うのが仕事だとするのなら、それはたぶん、どんどんと安い労働力に置き換えられていくのみになるだろう。単価の安い労働力に切り替えられるか、逆に労働力を置き換えることがないとするなら、どんどんと単価が安くなるということになる。

「いやいや、俺の給料を勝手に下げるなよ!」という方。だとするならば、自分の価値を高める何かをアウトプットする必要があるのは言わずもがな。であるなら、言われたことのみをしていてはいけない、言えばいいだけでは無いのは当然で、「言われたこと」に加えて、何か小さな付加価値を足していかなければ、じり貧になるのは当然のこと。

 

「いや、その何か小さなことをやることこそが求められていない」というのなら、それでもいい。甘んじて安くなる方向に流れていただいて結構。ただ「小さなことでも、新たな価値を生み出して、自分の価値を下げたくない」のなら、その部分こそ、あなたが考えられるオリジナリティであり、あなたの付加価値として評価されるポイントのはず。そこは「誰かに何をすべきかゆだねるポイント」ではないでしょう? 「そこ」こそを考える必要があるのでは?その小さな積み重ねがあなたの価値として積み上がり、あなたの進路を切り開く原動力になるということ。そこを「誰かに決めてもらう」とするなら、それは、あなたがあなたの人生をその決めてくれる人にゆだねることになりませんか?

 

あなたの人生を誰かにゆだねますか?あなたの幸せを、誰かに決めてもらいたいですか?それとも、小さくともそれを、決め続けていきますか?