うちの会社だけは

すでに「失われた〇年」といいはじめて何年たつのか。人によっては「俺の人生、全部失われてる」って人も出てきている今日この頃。すでに日本という国のポジションは先進国の中でも後塵を拝し、場合によっては勢いのよい発展途上国にも抜かれかねない状況に。

 

そもそも、景気は人心だともよく言われること。だが、じゃあ「誰かが景気の良いことをしてくれて、成果が出たなら俺も乗る」というのが皆の考えるところ。だからお互いにけん制して、誰もしない…ってことになるのはまずいので、政府が率先して「金をばらまく」。

だがここで、それを比較的上流で手にする誰かが「おぉ、金だ!」と自分の懐にため込むと、その当人には金がたまるけれど、そこから先には広まらない。これが今、「企業の内部留保」という形で見え隠れするために、批判のやり玉に挙がっているところ。

 

この話とは直接つながらないけれど、「自分だけ」が得をするようにふるまうと、確かに当人は大きな利得を得られるけれど、結局大きな流れにはなりにくい、これを数学的に考えたひとつが「囚人のジレンマ」。自分だけがやるときには得するけれど、でも全員がやり始めると、結局大きな損につながる。
昨今のネット環境では、多くの情報がすぐに広まるため、誰かだけが…という状況は作りにくい。であるがため、自分のためだけに、という行動こそが、結果的に損をすることにつながる。だからしっかりと周りを見、みんなで良くなるようにしていくのが、個人としての利得は相対的に小さくなるけれど、でもそれがみなに広がってよい状況になるという事。

 

と考えると、日本の企業のいくつかが、それもかなり多くのいくつかが、すでに時代遅れの企業であり、本来ならば解体され一新されていなければならないのかもしれない。その企業を温存するために、必死で「その会社だけでも」生き残るために、個別に最適化された現状が「いま」ではないだろうか?