事の順番

ものごとを進めるにおいて、手順を間違えると大変苦労する。場合によっては大きな失敗にさえつながる。

 

たとえば、何かを組み立てるなら、きちんと整理整頓、掃除された部屋の中で場所を確保し、そのうえで部品を広げなければ、「あれはどこへ行った」「これがない!」と大きなトラブルになり、結果的に時間がかかったり、最悪成功しなかったり。

 

単なる個人ではなく、会社や組織においてもまったく同じことで、どこから手を付けるかは重要な判断であり決断。だが切羽詰まると、そもそも選択肢自体がなくなることにもつながる。

 

景気が上がらなくなって久しい日本では、なんとか儲けを出せないか、なんとか売り上げを上げられないかと様々な施策が組まれ、実施されている。それらの多くは仕事の効率化と呼ばれることもあり、働き方改革と昨今は呼ばれているけれど、何のことはない、目指すは同じはずだ。

こんな中、たとえば小売業においては、なんとか売り上げを上げたい。だ、か、ら…と、同じ価格で内容量を減らす事がよくなされる。今、皆さんの周りで行われているのはまさにそれでしょ?場合によっては「ステルス値上げ」などとも呼ばれているようだけれど。これまで一袋「60g」で100円だったものが、「58g」で100円だとか。こんな微々たる程度ならすぐには気づかないけれど、「7つ」で100円が「6つ」で100円くらいの変化だと誰もが気づく。

 

だが、この減らし方なら、気づかれることはあれ、まだある意味正しい。最悪なのは、数や量を減らす前に、「何とか数、量を保つため」に「品質を下げるところ」からはいるやり方だ。

 

品質そのものは、なかなか見えにくい。判断しにくい、が、確実にユーザーを蝕んでいく。だから、あぁちょっと味が落ちたなとか、劣化が激しいな…と雰囲気程度には気づくあたりがスタートなのだけれど、最初はそれでも使い続けてくれるユーザーはいるものの、でも、日常使いするものであればあるほどだんだんと品質劣化は顕在化し、やがて離れていくことに。
もちろん、そこで社会的に「景気」が回復すればそれなりに盛り返せないこともないかもしれないけれど、実際は、少なくともここ30年近くでは、そうはならなかった。品質を下げてもなかなか利益が出なくなると、さすがにさらにそれ以上、品質を下げるわけにもいかず、「その次に」量を減らし始めざるを得なくなる。…となった瞬間、ユーザーはどう思うのか。量が減ればはっきりと値上げを感じる。それまで「質」が落ちている雰囲気も味わっているので、じゃぁこの際別のものに、と切り替えられ見捨てられることにもつながりかねない。そう、この順番はある意味最悪だ。

 

であるがゆえに、品質はできれるだけ我慢して手を付けない。いや、逆に品質は上げ続ける必要がある。品質に最初に手を付けてしまうと後の手段がどんどんと手詰まりになってくる。

 

まぁ、言うだけは簡単なのだが。やっている小売店、会社があるのも事実なのだから。